いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

回し蹴りに自殺未遂「なんそれ!」ではすまされないZAZYの壮絶すぎる生い立ち

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以前、洋裁用品店で見つけたZAZYになれそうな棚

 

奇妙奇っ怪なフリップ芸と、「なんそれ!」の決め台詞で昨年のR-1グランプリ準優勝と健闘したZAZY。昨年末、ニューヨークのYouTubeチャンネルに出演した際、思いの外ディープな生い立ちを語っていた。

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奇抜なフリップ芸と裏腹に、子どもの頃は小学校時代から勉強づけの日々を送ったというZAZY。高校は甲子園の強豪ながら、進学校としても有名な智弁和歌山に入学する。そしてその後、一浪の末に東京理科大に進学した。

こうした経歴について、すべては塾を個人経営していた父親の影響であると明かしたZAZYだったが、ニューヨークの2人になにか話したい様子で…。

親父が経営するスパルタ学習塾の実態 生徒に回し蹴り 居残りは深夜3時4時まで

ZAZY:あ、でも、これを言っちゃったら長くなるんで。大長編になるんすよ

屋敷:辛い?

ZAZY:辛い話。僕はポップに話せますけど(軽く深呼吸)

嶋佐:話す前に息を飲んだよ。話したくないならいいよ?

ZAZY:本邦初公開です。ここでしれっと公開して、いずれ本にしようかなってぐらいのことです

屋敷:えー(笑)

嶋佐:(EXIT)兼近みたいなこと? 『むき出し』(兼近大樹が発表した自伝的小説)みたいなこと?

屋敷:ZAZYに任すよ。止めておくでもいいよ

ZAZY:いいっすよ。これで逆に火が付いたら火が付いたで

親父が塾講師をやってて、地域でもめちゃくちゃスパルタな高校受験専門の学習塾なんですけど、今じゃないですよ? 当時、中学生をボコボコにするんすよ

屋敷:(笑)

嶋佐:どういうこと? どういうこと?

ZAZY:勉強できへんかったら回し蹴りとか、一番得意なやつは(生徒の)顔を持って机にボーン!ってやるやつなんですけど(笑)

ニューヨーク:(笑)

嶋佐:そんな塾あるの?

ZAZY:中2女子とかにするんですよ?

で、ヘビースモーカーで タバコをプカプカ吸いながら教えるっていう。親父はハゲで、それこそ波平みたいな頭で、たっぱが190ぐらいあるんすよ

屋敷:うおおおお、見たことないね

ZAZY:で、生徒をボッコボコにするんです…(笑)。で、中学生を夜中の3時4時まで居残らすんです

屋敷:(爆笑)聞いたことないで!

嶋佐:もう朝じゃん…

ZAZY:地域がよくないところなんですけど、ヤンキーの親御さんが入れるんですよ。更生施設みたいな感じで

嶋佐:あー、なるほど! 戸塚ヨットスクールみたいなことや

ZAZY:そうなんです。それで絶対志望校は受かるし

屋敷:『ドラゴン桜』だ!

ZAZY:そら受かるわ、みたいな。中学生も嫌すぎて、机や壁に落書きとかするんですよ。だから教室1個しかないんですけど、落書きで刃牙の実家みたいになってるんですよ(笑)

屋敷:(爆笑)

嶋佐:親父もワンオペだから消すの追いつかないんだ

屋敷:ホント牢屋みたいになってるんや

ZAZY:「ハゲ、○ね!○す!」「絶対○す」とか書かれてるんすよ

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勉強しているときに背中に包丁「寝るな。寝たら○す」

父親が経営する塾の衝撃的な実態を明かしたZAZY。そうした父親の“教育姿勢”は、実の息子たちにももちろん及んだようで…。

ZAZY:僕も小学生の時に中学生の授業を受けさせられて、そこの長男なんでメチャクチャ勉強させられて…

屋敷:あー、赤井の長男やから(ZAZYの本名は赤井俊之

ZAZY:一番引かれるのは、たとえば勉強してるときに「寝るな。寝たら○す」って言われて、ホンマに背中に包丁を突きつけられるんです(笑)

屋敷:だめだめだめwww

嶋佐:ほんまに?

ZAZY:ほんまに! 背中に切っ先を感じるんです

屋敷:なんも覚えれんで!

ZAZY:そうなんですよ。当時中1とか中2なんで、泣くじゃないですか。泣いてる状態でも「はい、覚えな刺すで」って

屋敷:えー!

嶋佐:うわ~…

屋敷:すっごいね! そら智弁和歌山行くわ

ZAZY:地域の小学校でも、いじめられ始めるんですよ。親父にボコボコにされた中学生が僕をいじめるんですけど、そんないじめなんてかわいいというか。ハサミで制服を切られるとかはあったんですけど、「別に」っていう。家帰ったら親父に刺されるかもしれんし(笑)

嶋佐:熾烈だなあ

ZAZY:だから当時そんないじめだとは思ってなかったです

屋敷:じゃあ辛いとかじゃなかった?

ZAZY:なかったです

嶋佐:すごいねそれ…

屋敷:そっからでも智弁和歌山行ってさ、東京理科大行ったときのお父さんとかどうやったん?

ZAZY:そっから…もうちょっと壮絶期の話していいですか?(笑)

嶋佐:まだ続くんだ…

母親が自殺未遂 睡眠薬を1瓶飲んで高速道路を運転

ZAZY:(親父が)めっちゃ厳しくて、バレンタインデーのときとかも、僕が初めてもらったチョコとか手紙を学生カバンに入れてるじゃないですか

屋敷:おお、青春やね

ZAZY:(親父が)「勉強してない。テストの結果を見る」ってカバンを勝手に開けられて、手紙とチョコレートが入ってるじゃないですか。「こんなんもらって色気づいてるから勉強せえへんのじゃ」って手紙破かれてチョコ食われたことあるんですよ

屋敷:チョコ食うんかい!

嶋佐:そこは捨てるんじゃなくて食うんだ

屋敷:お母さんはどんな感じ?

ZAZY:「手えだけは出さんとって…」って感じなんですけど、ボコボコにするんで

屋敷:ZAZY、兄弟は?

ZAZY:弟いるんすよ。僕は泣きながら勉強してたんですけど、弟は(身長が)190あって武闘派なんで、(父親と)殴り合いって感じですね

嶋佐:でも真面目なんだ

ZAZY:真面目だったと思います

おかんが一回発狂して。(親父が)あまりにも息子たちを殴るんで

嶋佐:なるほど

ZAZY:一回、睡眠薬を1瓶飲んで、高速運転するっていう自殺未遂をしてるんです

屋敷:(突っ伏して静かに笑う)

嶋佐:…それはちょっとすごいな…

幸い、母親は無傷で病院に搬送されたそう。父子で病院までタクシーで向かう道すがら、父親から「お前が勉強せえへんから、おかん死にかけたやろ」と説教を受けたというZAZY。そんなこんながありながら、名門、智弁和歌山への進学を決めたZAZYだったが、まだまだ苦難は続くのであった

智弁和歌山で登校拒否 暗闇で8時間ボーッとする日々

壮絶な家庭環境もあり、せっかく入った智弁和歌山時代にはしばらく登校拒否を経験したというZAZY。もちろん強権的な父親が登校拒否を許してくれるはずもなく、ZAZYは母親と協力し、父親にバレないように登校拒否をしばらく続けていたという。その“おとんにバレずに登校拒否”のエピソードがこれまた壮絶で…。

ZAZY:おとんは塾経営やから夕方まで家にずっとおるんですよ。で、おかんはおかんでパートしてるんですよね。どうするかっていったら(朝に)「行ってきま~す」って玄関を出て、塀みたいなのをよじ登って、庭にある物置に入って、あそこに一日おるっていうのをやってました

屋敷:えー? 飯も食わんと?

ZAZY:弁当はあるんで

屋敷:ああそうかそうか

嶋佐:だいぶ近くで…。もっと場所なかったの?

屋敷:(笑)

ZAZY:なんかそうしてましたね。

屋敷:そこぶらぶらしてて(近所の人に)目撃されてもよくないしな。それがどれぐらい続いた?

ZAZY:(期間は)半年ぐらいなんですけど、そのときは携帯も持ってないし、納屋みたいなところで真っ暗で懐中電灯を持っていって読書もできないので、ずっと8時間ぐらい暗い中でボーッとしてるっていうのもあったんです

屋敷:すごいな!

嶋佐:壮絶だな!

 

暗闇の中で何時間もボーッとする。そのときの異常な思春期が、今の芸風に影響を与えたのでは、と自己分析するZAZY。

ZAZY:そんときに、人と違う脳みそになったのかもしれないです

屋敷:たしかに、そうじゃない? そんなことないもん。普通の高校生。引きこもりとかともちがうもん

ZAZY:ちがいますね

屋敷:山で育ったみたいなかんじ

ZAZY:誰ともしゃべってないですよ。なんもしてないです。ほんまに。昨日の夜観たウンナンさんとかダウンタウンさんとかを思い出すみたいな(笑)

屋敷:頭の中で再放送

ZAZY:ゲームも、おとんは優しいときは優しんでテストでいい点を獲ったときゲームなんかめちゃくちゃ買ってくれるんですよ

屋敷:買ってくれるんだ

ZAZY:でも、悪い点数とったりサボってたりしたらゲーム壊しよるんですよ

屋敷:ふははは

嶋佐:どっかにしまうとかでなく

ZAZY:バコーンって壊すんです。弟と僕でプレステ2、6台壊してるんです

屋敷:えええええええ

嶋佐:もったいねえ!

屋敷:また買ってくれるんや

ZAZY:でも偉いもんで、3台目ぐらいからもうRPGを買わなくなるんですよ(笑)

屋敷:ふははは なるほどね!

嶋佐:時間かかっちゃうもんね

ZAZY:その場でパッとできる格闘ゲームとかウイイレとか

突然のおとんの死

1浪の末に理科大に合格したZAZYだったが、思い描いていたキャンパスライフとのズレが感じたこともあり、大学を辞めてNSC入学を決意する。このころ、病気を患いかなり弱っていた父親は、「いずれ大学を卒業してくれるなら…」と休学を渋々了承。しかし、このときZAZYはもう大学を退学し、お笑いの道に完全に足を踏み入れていた。

ZAZY:NSCを卒業するぐらいのころに「ちょっとおとんがもう危ない。今夜が山かもしれん」っておかんが連絡もらったんですけど、「別に、いっか!」って同期とスマブラやってましたね

屋敷:ああ、そう…(笑) なるほどね…

ZAZY:それで朝イチの電車で帰って、おとんがで亡くなった、みたいな。おとんの最期の一言が「俊之、大学だけは卒業してくれよ」って

屋敷:うっわ…(笑)

嶋佐:最期まで教育親父で

屋敷:うわー!!!

ZAZY:だからZAZYになってるのどう思ってるんかなって思います

屋敷:普通、その(話の)入りやったら、どっかでおとんと認め合うみたいなところあるけど、もう亡くなっちゃったんだ…

ZAZY:葬式のときも葬儀屋さんが来てバタバタするじゃないですか? いろいろ決めて、「喪主さんどちらがされます? ご長男か、奥様か」って聞かれて、どちらも嫌やっていって、葬儀屋さんの前で喪主でじゃんけんしたんです(笑)

屋敷:でどっち勝ったん?

ZAZY:僕が勝っておかんが喪主をしました(笑)

息子が金髪ロン毛になったことを知らないまま死んだ父親

屋敷:これどこにも話してへんの?

ZAZY:どこにも話してないです。

嶋佐:(こんな話ここで発表して)これいいの?

屋敷:俺ら抱えきれます?

嶋佐:抱えきれないです

屋敷:(笑)すごい話や…

ZAZY:これを何かの形にしたいです。もっと細かいエピソードもいっぱいあります。

嶋佐:これは映画化まで見えましたね

屋敷:俺の観た映画って、最後やっぱ親父と仲直りしてる(笑)最期「大学だけは卒業してくれよ」って言って倒れて…(笑)

ZAZY:だめですか? 最後で主人公が金髪ロン毛になってフリップめくりだす

NY:(笑)

屋敷:なんそれ!って終わるな~

ZAZY:(笑)

偏った父親に苦しめられたものの、現在は亡くなった父親に対して、怒りや憎しみの気持ちはないというZAZY。

けれど、現在の彼の唯一無二の風貌、そして芸風はおそらく、父親から幼少期に過剰に期待されていた場所から最速最短で抜け出したいという気持ちが原動力になったのではないか。そう思わずにはいられない。

「世界にたった一人の運命の相手」を探してさまよう人に届けばいい映画『恋をするなら今宵のディナーで』

この世界のどこかに、自分の対になる“運命の人”がいるはず――そう考えるのが恋愛における運命論だが、Netflixで配信が始まったイタリア・ポルトガル製作の映画『恋をするなら今宵のディナーで』は、そんな運命論に過度に期待しすぎている人に届いてほしいようなラブストーリーだ。

www.netflix.com

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映画『恋をするなら今宵のディナーで』Netflixより

もしあの人と付き合っていたら…異色のパラレルワールド・ラブストーリー

分かりやすくするため、字を色分けして紹介する。

映画の主人公は、ダリオマッテオという2人の男、キアラジュリアという2人の女、独身の男女4人だ。4人は友人夫婦の引っ越しパーティで知り合い、連絡先を交換し、まずダリオジュリアマッテオキアラが恋仲になっていく。

ところが、映画は突然時間を巻き戻し、4人が知り合う時間まで戻ると、今度はダリオキアラマッテオジュリアが恋仲になっていくシーンが進んでいく。

え、この4人は全員浮気者ってこと? と鑑賞者は混乱してしまうかもしれないが、そういうことではない。本作がこの4人の登場人物を通して挑戦しているのは、「現実に生まれたカップル」と「ありえたかもしれないカップル」、その2つの世界線を同時並行で描いていく、という離れ業なのだ。

2つの世界線を通して描かれるもの

2つの世界線を通して描かれていくのは、結局恋愛がどのような道筋をたどるかはそれぞれの個性にかなり左右されるということ。

たとえば、マッテオキアラのパートでは、2人がマッテオのお気に入りのレストランを訪れたものの、貸し切りで結婚式が開かれているため使えないというハプニングが起きてしまう。ところが、花嫁の好意で急きょ招待され、幸せそうな新婚夫婦を目の当たりにして、マッテオキアラの恋が進展することに。

しかし、マッテオジュリアでは、そもそもそのハプニングが起き得ない。マッテオが同じレストランにジュリアを連れていこうとするが、合理主義者で用意周到なジュリアの性格から、行く前にレストランに電話をして結婚式のため使えない、ということが分かってしまうのだ。

それだけではない。誰と付き合うかによって、その人の性格や趣味、人生も変化していく。しかもそれは、どちらか一方からもう一方への一方通行ではない。相互作用だ。

誰と交際し、結婚するかで、住む場所も変われば、キャリアだって変わる。独身だったら子ども嫌いだった人が、世界線が代わった次のシーンでは、我が子に優しい視線を送るのだが、それは「今ある現実は無数の選択が積み重なった上にできた偶然の産物」にすぎないことを強く印象付ける。

一方で、「こいつ、どっちの世界線でも同じ過ちを犯してんじゃん!」という場面もきちんと描いていて、それはそれで笑える(映画を観終えた人は「ステラ」という名前を思い出してほしい!)。

また、「この人とこの人は相性が合わないだろうな」と第三者から見られていたカップルも、意外や意外、遠回りしながらも上手くいくことだってある、ということに映画は言及する。結局、上手くいくかどうかは付き合ってみなければ分からない、ということだ。

「運命の人」は存在しない…わけではない

そんな本作は、「どんなことが起きても永遠不変の運命の人」という世界観に疑問を投げかける。

でもそれは、「運命の人なんて存在しない」というニヒリズムとも少しちがう。

ネタバレを回避していうならば、本作が2つの世界線を通して描こうとするのは、「世界線は無数にあるが、どの世界線にだってあなたの“運命の人”になりえる人(運命の人候補)が存在する」ということ。「運命の人」はあなたの人生が変わればその都度変化し、それに出会えるかはあなた次第。でもそれは、一方的に「見つける」というより、あなたがあなた自身をフィットさせていく作業かもしれない。

他のパラレル・ワールド作品とちがう多幸感の正体

本作と同様、「今ある現実は無数の選択が積み重なった上にできた偶然の産物」ということを描くパラレル・ワールド作品の多くは、鑑賞後に自分自身の現実も不確かなように思えてきて少し不安な気持ちになるが、本作はひと味違った独特の多幸感を味あわせてくれる。

この映画の根底には、かつて超合金・カズレーザーがテレビ番組で放った名言に通じるものがある。かつてカズは、「常に将来について思い悩んでしまう」という女子大生の悩みに対して放った「人間、どうせ幸せになるのよ」と説いた。この映画の多幸感の正体は多分それだ。この映画を観ると、ぼくたちは誰と一緒になってもどうせ幸せになってしまう、と言われているような気がする。

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映画は、冒頭と同じ友人宅のパーティに、夫婦となった4人が再び訪れるところで幕を降ろす。

心憎いのは、最後まで「ダリオジュリアマッテオキアラ」と「ダリオキアラマッテオジュリア」、そのどちらの世界線が真実だったのかを観客に対しては明かさないところだ。このラストはまるで、「どちらが真実だっていいじゃない。どうせ4人は幸せになるのよ」と言っているかのようだ。

今年も“じゃない方会社員”で生き延びたい

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もうそろそろ2年前になるだろうか。かつて『水曜日のダウンタウン』で「なにやら占い師に傾倒し始めた相方が改名を訴えてきても応じられない説」が検証された。

ドッキリで、コンビの片方が相方に対して、メチャクチャな芸名やコンビ名の改称を提案する様子をモニタリングする内容で、その中に野性爆弾が登場した。

仕掛け人のくっきー!が自分の芸名を「相原YOU」、コンビ名を「飛ぶ人間(ピーターパン)」、さらにロッシー自身の芸名も「しそうのう郎」に改名したいと提案。野性爆弾といえば、芸歴は20年を有に超えるベテランである。ロッシーの芸名にもそれなりに歴史がある。ところが、この全ての提案をロッシーは「全然いいよな」などとほぼ二つ返事であっさりOKしたのだ。この様子が、当時ネット上では「くっきー!より怖い」「狂気」などと話題になっていた。

 

そのとき、ぼくはぼく自身に対して、ほかの視聴者とは全く別の意味で衝撃を受けていた。なぜなら、みなが「怖い」「狂気」と言っていたロッシーの反応が、ぼくにとっては「すごい分かる」「たぶん俺もこういう反応する」と共感できてしまったのだ。

このとき、自分の「じゃない方」属性を直感した記憶がある。ロッシーといえば、紛うことなき「じゃない方」芸人だろう。鬼才・くっきー!がお笑いの分野を超えて多才を発揮する一方、幼稚園からの幼なじみにして相方のロッシーは常に受け身で、何かを自発的に発表する瞬間は、少なくともテレビ画面上では目撃できない。千原ジュニアをして「爆弾がくっきー!、野性はロッシー」と言わしめたように、その芸歴のほとんどをその天性の天然属性で乗り切ってきた男である。おそらく、芸名やコンビ名についても、「くっきー!が替えたいのなら替えよう」ぐらいだったのだと思う。

 

この「変えたいという意思がある人がいるなら、それに従おう」。その感覚が、ぼくはとてもよく分かるのだ。なぜなら、ぼく自身も会社では「じゃない方会社員」だからだ。

自分から自発的に企画を立てない、やれと言われたらやる。自分の担当する業務についても、責任は取るけどそこまでこだわりはない。上司に「こういう風にしたほうがいいんじゃない?」と言われたら、「あ、そうですかね。じゃあそうしましょう」と二つ返事で了承してしまう。それは、上司と意見が対立したくないとかではなく、本当にそこに意思がないからだ。ほら、ロッシーではないか。

もしぼくがお笑い芸人だったとして、相方からぼく自身の芸名変更と新しい芸名を提案されたら、「全然いいよ」と了承してしまうと思う。そこに意思がないからだ。意思がないなら、意思がある人の意見に従うまでなのだ。

 

しかし、こうした「じゃない方会社員」として自分が始末に終えないと感じるのは、自分のことを「会社のお荷物、厄介者」とは露ほども自戒していないところだ。

こうした厚顔無恥な自意識の誕生にも、お笑い芸人が関係する。

以前、ハライチの岩井勇気が『あちこちオードリー』で、ネタを書いていない相方の澤部佑に対して抱いていた不満と折り合いをつけるため「俺の本当のやりたいことに、ギャラを半分あげて来てもらっている人」と思うようになった、と話していた。

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澤部は厳密には「じゃない方」芸人とは言えないほど売れに売れきっているし、どちらかといえば、少し前の岩井の方が「じゃない方」に片足突っ込んでいたぐらいだったが、ネタについては岩井が完全な頭脳で、澤部は「じゃない方」になるといっていいだろうを

岩井のこの言葉を聞いたときに、膝を打つ思いがした。そうなのだ、「じゃない方」は不必要な存在などではない。ぼくのような「じゃない方会社員」がいなければ、会社の業務は回らない。ぼくも社長や上司からしたら「俺の本当のやりたいことに、ギャラを半分あげて来てもらっている人」なのだ。岩井が、ネタを書く方/書かない方の不平等への不満に折り合いをつけるために編み出した考え方が、全く関係ないぼくに刺さった瞬間だった。

 

よく、「0から1を生み出す人」「1から10を生み出す人」「10から100を生み出す人」という言い方がある。ぼくの意識では「じゃない方会社員」はそのどれにも当てはまらない。さすがに「10から100を生み出す人」ぐらいはやっているのでは?という人もいるかもしれないが、その人はまだ「じゃない方」会社員として徹底できていない。真の「じゃない方」会社員はときに「56から61を生み出す人」になれば、ときに「45から29を生み出す人」にもなる。たまには足手まといにもなる。たまにね。

 

ここまで読んで、こいつは人生を、社会をなめきっていると感じた人。あなたは正解である。無論、ぼくは人生をなめきっているが、この「じゃない方会社員」であることが安泰であるとまでは思わない。いずれバレるかもしれない。いつか来るかもしれないその日まで、息を潜めて、「じゃない方会社員」として今年も生き延びたい。

【今年公開&配信198本】2021年度映画総合ランキング ※お詫びあり

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恒例の年間映画ランキングのお時間です。

今年は668本鑑賞し、日本公開、配信は198本でした。

198本の中からランキングを決めます。もう10本では収まりきらんということで、すでに邦画、洋画、配信に決めました。

タイトルにあるとおり、数本、「これは入れないとあかんだろ」という作品をすっかり忘れてしまっておりまして、そちらもお詫びにかえて追記しております。

では行ってみましょう!

※シン・エヴァクレしんの天カス学園を忘れていました。

※新スーサイド・スクワッド、ロンを忘れていました。

 

これを踏まえて、年間総合ランキングです。

(1)マリグナント 狂暴な悪夢

(2)ラストナイト・イン・ソーホー

(3)浅草キッド

(4)ヤクザと家族

(5)すばらしき世界

(6)21ブリッジ

(7)由宇子の天秤

(8)レッド・ノーティス

(9)フリー・ガイ

(10)ブラック・ウィドウ

 

今年は以上!

来年もたくさん良い映画に出会えるといいな!

『明け方の若者たち』が悪いんじゃない。ぜーんぶ今年の邦画たちが悪いっ!

映画チラシ『明け方の若者たち』5枚セット+おまけ最新映画チラシ3枚 

今年2021年は、東京の井の頭線沿線や中央線沿線の下北沢や明大前、高円寺といった若者に人気のエリアが印象的な役割を果たす邦画が多く誕生した。そんな今日、大晦日に名実ともに今年を締め括る形で公開される映画が『明け方の若者たち』だ。

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東京・明大前で開かれた学生最後の飲み会で出会い、意気投合し、交際することになった「僕」(北村匠海)と「彼女」(黒島結菜)の2012年から始まる約5年の軌跡を描く。

 

本作の不幸は、東京を舞台にカップルの悲喜こもごもの数年を描く、という形式から、嫌が応にも『花束みたいな恋をした』を連想されてしまうこと。残念ながら、あの映画に比べると、会話の強度が全く足りない。どちらかといえばテレビドラマチックな1から10まで説明する脚本が、執拗に俺の集中力を削いでくる。うーん、辛い。

鑑賞者の記憶をゾワゾワなぞってくるような生々しさもなければ、考えさせられるような現実的な葛藤もない。そこにあるのは、そこそこ恵まれ、おセンチに気取った男女のなんでもない日常である。実写版大学生のきしょいストーリーかよ。気の抜けたコーラのような映画だ。そうか、こういうときに人は「気の抜けたコーラ」という言い回しを使いたくなるのか。

 

特に前半は、2人にとっての障害もなければ目標もない(描かれない)ので、何を見せられているんだと困惑させられる。もしかして俺は何か重要なシーンの前に後ろから誰かに殴られ気絶していたのだろうか? 大切なシーンを見過ごしたのか? と不安になってくる。

中盤で2人はフジロックに行くのを取りやめ、車で当て所もなく旅行をすることになるが、当て所もない旅路に連れていかれているのは俺たち観客の方である。まさかこのヤマなしオチなしで2時間突っ走るのか…という心配はさすがに杞憂に終わり、途中でちょっとした種明かしがなされ、トーンは少し変わるのだが…。その後の展開が劇的に面白くなるわけではない。それにしても、この仕掛け(というほど大したものでもない)のために、前半の面白さを犠牲にし過ぎではないか、とも思った。

 

ただ、ここまで悪いことしか書いていないように思われるだろうが、いや実際悪いことしか書いていないのだが、ただ一点、北村匠海のファンや、黒島結菜のファンはこれで満足できるのかもしれない。彼らが悪いわけではないし、この映画が悪いわけでもない。ぼくをもうこの程度では満足できない体にしてしまった、今年の強すぎる邦画の数々が悪いのだ。

人口900万人に救急車わずか45台のメキシコシティで活躍する“闇救急車”の実態 『ミッドナイト・ファミリー』

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世界は広い。まだまだ知らないことがたくさんある。ドキュメンタリー映画を観る醍醐味は、自分の全く知らない時間・場所に連れて行ってくれるところにある。『ミッドナイト・ファミリー』もそんなドキュメンタリーの醍醐味が凝縮した一作といえる。

この映画の舞台はメキシコシティ。この都市には人口約900万人にあたり、救急車の数がわずか45台に満たないという。ためしに東京都で調べると人口1400万人あたりに救急車が236台。1台あたり6万人で、これはこれで少ないように思えるのだが、メキシコシティは1台あたり20万人なので、よりひっ迫していると分かる。

そんな救急車不足のメキシコシティで何が起きているかというと、違法な状態で運営する民営の救急車が活躍しているという。本作が密着するのは、そんな「闇救急車」を営むオチョア一家と、そこから見える、日本に住んでいるとおよそ想像しがたいメキシコシティの救急医療体制の実態だ。

闇救急車はその働き方からして興味深い。闇なのだから当然待っていても出動要請がかかるわけではない。本作が密着するオチョア一家も、夜毎救急車で市内を流している。それはさながらタクシーのようだ。まだ小さな末っ子が、ビュンビュン飛ばす救急車の車内や、重傷を負った負傷者を見ても顔色ひとつ変えないのは、もはや慣れっこになっているからだろう。彼もいずれ「家業」を継ぐのだろうか。

事故や事件の情報を聞きつけると、サイレンを鳴らして現場へ急行するオチョア一家。ここで面白いのは、市街には他の闇救急車も流しており、客(=負傷者)を乗せられるかは結局早い者勝ちということだ。映画はその状況が引き起こす、世にも珍しい「救急車同士のカーチェイス」を活写する。密着のカメラが救急車の車内から捉えた、けたたましいサイレンとともに別の救急車を追い抜くさまは迫力満点だが、同時にこんなことをすればまた別の事故を起こして負傷者を増やすだけでは? と不謹慎にも笑えてきてしまう。

負傷者をピックアップしたあとは公営の救急車と同様に病院に運ぶわけだが、たとえ病院についたところで料金を払ってもらえるかは分からない。別にピックアップする際に契約を結んだわけではないのだ。現に劇中、オチョア一家は負傷者やその家族から料金を踏み倒される様子が何度も何度も描かれる。しかし、払えよと負傷者に強く出ることはできない。もともと闇救急車自体に違法性があり、警察を呼ばれたら最後。彼らはとても弱い立場なのだ。

こうした状況のため、救急搬送を何度したところでなかなか稼ぎが稼げない一家は、火の車である。そんなに大変なら転職したほうがいいのでは? と思うのだが、彼らには彼らで事情があるのだろうか。

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苛烈を極める救命医療の現場、過酷なオチョア一家の家計事情、そしてそんな内容に関わらず、赤と青のあざやかなサイレンに照らされた美しいメキシコシティの夜景のギャップも印象的な本作。オチョア一家が救命医療に急行する現場が何度も映されるが本作だが、負傷者のことはあまり直接的には映さない。主役はあくまでオチョア一家で、足掛け4年密着した監督のカメラだからこそ、これらの飾らない素顔を魅力の一つだ。

「事件や事故が起きたら(公的な)救急車が勝手に来るもの」という常識を持つ者は打ちのめされる一作となるだろう。

『ラストナイト・イン・ソーホー』で連想した5本の作品<微量のネタバレが含まれます>

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今年の大傑作の1本といえばエドガー・ライト監督の『ラストナイト・イン・ソーホー』だ。映画とその歴史に対して常に批評的な姿勢をとり続けるライト監督であるからして、もちろん本作にもさまざまな過去作の引用、パロディが隠されているが、それらとは別に、本作にはさまざまなイマジネーションが隠されている。本稿は、本作から派生して連想した作品5本を、関連付けながら紹介したい。

ベイビー・ドライバー

ベイビー・ドライバー (字幕版)

まず紹介したいのは、エドガー・ライト監督による前々作『ベイビー・ドライバー』。

同作と『ラストナイト~』は、どちらも主人公がイヤホン/ヘッドホンを使って四六時中音楽を聴いている点が共通だが、その深層の意味も似ている。『ベイビー~』の主人公がイヤホンを手放さないのは鳴り止まない耳鳴りを遮るためだが、その深層には母亡き世界を直視できない彼の弱さがある。生前の母が口ずさんでいたおなじみのオールディーズを流し続けるイヤホンは、”胎教”が流れる胎盤の役割を果たす。

一方、『ラストナイト~』では、主人公エロイーズがbeatsのヘッドホンで憧れの60年代の音楽に聴き入っている。彼女もベイビーと同様、慣れない大都会ロンドンでの生活や気の合わないルームメイトから逃避するように、60年代に鼓膜を通して耽溺する。

ミッドナイト・イン・パリ

ミッドナイト・イン・パリ(字幕版)

ウディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』と『ラストナイト~』をつなぐのは、「過去への憧れ」だ。

同作は、俗物的な婚約者&その両親と共に、憧れのパリに旅行にやってきた脚本がなかなか書けない脚本家志望のギルが主人公。そんな彼がなぜか真夜中だけ、世界的な芸術家で賑わう、彼が愛してやまない1920年のパリの夜にタイムスリップしてしまう、というロマンチック・コメディだ。

『ラストナイト〜』が過去を糾弾するのに対して、本作の「結局、どの時代の人だって『昔は良かった』と思いがち」というシニカルなオチは、ウディ・アレン風味といえる。

ザ・コール

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過去と現在、2人の女性をつなぐ作品で思い出す名作が、韓国のSFホラー(と呼んでいい???)映画『ザ・コール』だ。

同じ洋館に住んでいた2人の女性をつなぐ一本の電話。最初は分かりあえそうになっていた2人が、離反していく切ない展開は『ラストナイト~』に通じる。過去の者は未来の者には防げない方法で、未来の者は過去の者には知り得ない情報で、時を越えて相手を出し抜こうとするバトル展開がスリリングだった。

アンテベラム

映画チラシ『アンテベラム』5枚セット+おまけ最新映画チラシ3枚 

『アンテベラム』もまた、奴隷制時代に虐げられた女性と、リベラルな現代社会で活躍する女性という、対局にあるように思える2人の女性が共鳴する作品だが、その共鳴の仕方は『ラストナイト~』に比べるととてつもなく奇妙だ。

それは、2人の女性をジャネール・モネイが一人で演じ分けていることに起因する。本作における現在と過去は独立しては存在しない。2つの時代はまるで混ざり合うように、ねじれ合うように関連していく。昔パートの出来事が、現代パートの女性が見る夢のように推測もできるが、ラストシーンを観たあとでは単純にそうとも言い切れない。本作はそうした「分かりやすい解釈」を拒絶してくる。

iincho.hatenablog.com

クイーンズ・ギャンビット

クイーンズ・ギャンビット(新潮文庫)

『ラストナイト~』で主人公エロイーズが夢の中で出会う60年代のシンガー志望の女性、サンディを演じたアニヤ・テイラー=ジョイ。ネットフリックスのドラマ『クイーンズ・ギャンビット』にハマった人なら、彼女が画面に出てきた瞬間、あの意思が強そうな瞳で「ベスだ!」と気づいたはず。

興味深いのは、エロイーズが憧れ、サンディが登場するのが60年代のロンドンであるのと同様、ベスがチェスのプレイヤーとして活躍するのも60年代のアメリカだということ。エロイーズとベスは同時代の人間だったのだ。

そう考えると、『クイーンズ~』で男であろうとバッタバッタとチェスで倒していくベスの活躍は、同時代に男に夢を壊されたエロイーズの敵を討っているかのように思えてくるから不思議だ。

 
 
 
 
 
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