いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

東野幸治の”芸人ウォッチ術”が花開くエッセイ『この素晴らしき世界』

この素晴らしき世界

この素晴らしき世界

 

東野幸治は掴みどころのないお笑い芸人だ。

20代の頃には『ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラー出演し、放課後電磁波クラブ、パイマンといった名キャラクターを生み出したものの、番組内では「できない奴」「面白くない奴」「汚れ芸人」という扱い。おまけすぐに全裸になるような下品な芸風だったため、生前のぼくの父親は毛嫌いし、『ごっつ』に彼が出てくると舌打ちしていたものだ。

その後、今度は先輩、ダウンタウン松本らの証言により、死んだ亀をゴミ箱に捨てるなどの恐ろしい本性が続々と明らかとなり、「ヒトの心を持たない芸人」「サイコパス芸人」といった称号を得たのが2000年代。

しかし、この頃から徐々に風向きが変わっていく。いつのまにか「できない奴」でも「面白くない奴」でもなく、すぐ上の先輩・今田耕司と共にMC芸人として重宝され、急激に頭角を現していく。回される側、ではなく、実は回す側にその才能を有していたのだ。

そして2010年代、『アメトーーク!』に持ち込んだ「帰ろか・・・千鳥」「どうした!?品川」といった企画を成功させるなど、同業者がロックオンされることを恐れるほどの密度の高い「芸人ウォッチ術」において才覚を見せ始める。

さらに、年齢を重ねた近年では、「ヒトの心を持たない芸人」だったはずが、涙もろくもなってきている。昨年のよしもとの闇営業問題のときには、謹慎を食らった後輩たちを思い、テレビの生放送中に涙した姿が記憶に新しい。

かつて松本も自身のラジオ番組で東野のことを、「まだ、何回か変化しよる」と予想した。いったい、どれが本当の東野なのか。そして、どれが本当の彼なのか。

 

この素晴らしき世界

この素晴らしき世界

  • 作者:東野 幸治
  • 発売日: 2020/02/27
  • メディア: 単行本
 

 

『この素晴らしき世界』はそんな東野によるエッセイ集だ。所属するよしもとの先輩、後輩を一人ずつ紹介している、人物評伝集といえる。浅草キッド水道橋博士にも同様の『藝人春秋』というシリーズがあり、形式はそれに似ているが、博士が博覧強記でごりごりと対象人物の輪郭をかたどっていくとすれば、東野のそれはのほほんとした軽い言葉で、その芸人の実相に迫っていく。

 

さまざまな語り口を使い分ける。その芸人の身近な面白エピソード集の数々を紹介していきながら憎めない素顔を紹介(イジる)したかと思えば、その芸人の半生を丁寧に振り返りつつ、芸人人生の酸いも甘いもを読者に追体験させる、クオリティの高いルポタージュの様相を呈することもある。

前者(例えば「アホがバレた男、ココリコ遠藤」「度が過ぎる芸人、若井おさむ」「元気が出る男、トミーズ健」など)でガハハと声を出して笑ってしまったかと思えば、一転して、後者(例えば「お笑いに溺愛された男、三浦マイルド君」「執念と愛に満ちたコンビ、宮川大助・花子」「還暦間近のアルバイト芸人、リットン調査団水野」など)で、不意に泣かされそうになる。

 

そんな東野の筆致が光るのは、やはりどちらかといえばダメな芸人について語るときだ。

  彼の仕事がなくなろうとも、彼がバイトしようとも、のたれ死のうとも、世の中の人には一切関係ございません。

 彼自身も世の中に対して、恨み辛みは一切ございません。

 お笑いを続けながらお笑いに絶望し、お笑いの世界に居続ける――。彼とお笑いとは不思議な関係です。

 そして色んな先輩から「大丈夫?」と言われたら間髪をいれず、「心配ないさ~」と言い続ける。

 そんな心配しない男が大西ライオンです。

 

「心配しない男、大西ライオン」より

 

この文章に、お笑い芸人の、特に売れないお笑い芸人の悲哀が凝縮されているように思える。

 

また、サイコパス芸人の片鱗を見せることもある。ガンバレルーヤよしこについてつづった章では、よしこと相方まひるの出会いを描く。よしこが自身のマンションのエレベーターで、便秘に苦しむまひろを助けたところ、なんと2人はこれからNSCに入学する新入生同士で、意気投合してコンビ結成となった…という、すでにテレビ番組でも何度か披露されたエピソードだ。

しかし、これを紹介し終えた東野は、すかさず、

……とここまで書いていて、私は感じます。こんな話、あります? どこか嘘くさいですよねえ。

 

言われてみれば、たしかにうそっぽく思えてくるけど…別にそんなことわざわざ指摘しなくてよくね? と思うところに突っかかるのがやはり東野幸治という男なのだろう。しかし、別に東野は「うそが嫌い」なわけじゃない。先程の箇所でも、すぐに「でも、この嘘くささがお笑い芸人としてのとても大事な要素だと私は思っています」とフォローする。

「これ嘘だよね? 嘘だよね? やっぱり。嘘だと思ったんだよ」と、うそであることだけを確かめれば、咎めもせず去っていきそう。彼を突き動かすのは道徳心ではなく、「本当かどうか」という純粋な好奇心だけなのだ。

 

結局東野はどういう芸人で、どういう男なのか。

本書で、東野が自身について書く箇所は、当然ながらほとんどない。

しかし、やはり人間は自分について語らずとも、「何を語るか」「どう語るか」で、はからずも自分について語ってしまっているのだと思う。

明石家さんまダウンタウンといった大御所ではなく、どうしようもないダメな芸人にこそスポットを当てて、そのスキャンダルな素顔を容赦なく書ききってしまうのは、彼の暖かさであるとともに、冷酷さでもある。

冷静と情熱の間で芸人を愛し続ける芸人。きっと東野とはそういう男なのだ。