神田沙也加・元夫のブログに非難の怪 これってそんなにダメなこと書いてる?
神田沙也加の離婚に関連して、別れた元夫の村田充のブログが、一部で変な方向に話が行っていた。
村田さんはブログで離婚理由について以下のように説明していた。
子どもが欲しかった私と、前向きになれなかった彼女とで折り合いがつかず、
互いを尊重し、前を向いてそれぞれの人生を歩むという結論に至り、
今年の夏、二人で円満に離婚届を作成し、離婚に双方合意をいたしました。
この文言を読んだときは、「ふーん」と読み流していたのだが、その後、以下のような記事が目にして、驚かされた。
前段で引用したブログの言葉が一部で非難されている、という。
以下が、記事内で紹介されていた非難のコメントだ。
《子供を産まない=後ろ向きかのような言い分嫌だなあ。 価値観が合致しないとき、相手を「間違ってる」かのように捉えるのってアリがちだけど残酷。 相手には相手の事情や考え方があるのだから… そもそも今の日本社会で 女性が子供を持つことの大変さわかってるかなあ》
《「子供が欲しかった自分と、前向きになれなかった彼女」って。 そういうのって結婚するときに話したりしないのかな? それに子供産まないことが後ろ向きなこと=ダメなことみたいに聞こえてちょっとひっかかってしまった。なんか悲しいなって思った》
《神田沙也加さんの離婚原因なんかモヤる…。 「子供を持たない」っていうのは個人の1つの考え方なんだから、それに対して前向きも後ろ向きもないと思うんだけど。 子供を持たない イコール 後ろ向きって考えの男ってヤダな。そもそも妊娠って圧倒的に女性負担なのに、自分勝手すぎる》
《いま仕事がいい時期で、仕事が大好きで、 子供を産む期間にどうしても仕事をストップさせるということに抵抗があるのでとてもよく分かる》
村田さんは、何も子どもを持とうとしないことが「間違っている」「ダメなこと」といっているのではない。そんなことはどこにも書いていない。
この非難のコメントの数々読んでいて、ぼくの読解との「根本的なズレ」を感じた。その「ズレ」とは一体何なのだろうか。
おそらくそれは「前向き」という語の捉え方にある。
いちいち辞書を引っ張り出してくるのも仰々しいが、「前向き」について一応確認してみると、「ものの考え方が積極的・発展的であること」とある。
この意味に従うならば、村田さんは「自分は子どもがほしかったが、妻は消極的だったので、話し合った末、離婚しました」といいたいだけである。
つまり、元妻のスタンスに対して「良い」「悪い」と価値判断を下しているのではなく、「子を持つことに消極的」という彼女の意向を説明しているに過ぎない。なのにこの酷い言われようはなんなのだろうか。
たしかに、村田さんの文章がややミスリードなのも否めない。原因は「前向き」の前に「、」が入ってしまっていることだ。「、」で切られていることで、「前向き」の指すところが、子を持つことに対しての彼女のスタンスではなく、まるで彼女本人の性格そのものを指して「前向きになれなかった」と言っている、ようにもとれなくない。
しかし、それはあくまでも「とれなくもない」だけだ。
例えば、
「焼き肉が食べたかった私と、前向きになれなかった彼女とで折り合いがつかず、お昼はあっさりしたざるそばにした」
これならば、誰も文句は言うまい。
ああ、「私」は肉をがっつりいきたい気分だったのに対して、「彼女」はお腹空いていなかったのか、胃がもたれていたのだろうか。それぐらいを思うだけだ。何もここで、「焼き肉を食べない=後ろ向きかのような言い分嫌だなあ」なんて言い出す人はいないだろう。いたらすいませんが。
「焼き肉」ならばスルーされるのに殊に、「妊娠」や「出産」、「育児」ではバチバチするネットの雰囲気。過去にも何度も経験してきた。
もちろん、妊娠、出産がセンシティブな問題なのは分かる。女性にとって一大事である。それは分かる。
一方で、少しでもネガティブにとれるような余地があれば、顕微鏡で100倍でも200倍にでもするように拡大解釈し、ネガティブにとらえるのはどういう心性なのだろう。
ときにそれは世の中にあふれている「妊娠」や「出産」「育児」にまつわるトピックに対して、「怒れる余地はないだろうか」と、探しているかのようにさえ思える。
こんなことを書くと、「あなたは所詮男だ。分かってない」と言われそうだけれど。