いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

塚本晋也監督『斬、』の主役が「刀」である理由

 

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怖え…(観た後なので今もビビっている)

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 11月公開なのにずっと観に行けていけてなかった塚本晋也監督の初の時代劇『斬、』、見てきた。凄まじかった。

 クレジットは「池松壮亮」がトップに来て、間違いなく彼が演じる杢之進(もくのしん)が主人公なのだけど、この映画のもうひとつの主役は「刀」だ。多くの人が感じることだろうが、この映画の刀の描写に力が入っている。

 「音」1つをとってもそれがよく分かる。この映画に出てくる刀はどれも「音」が豊かで、そして大きいのである。鞘走りの音、鍔鳴り、手で握り直すときに出る音、さまざまな豊かな音が描かれ、そしてそれらがどれも過剰なほど大きく聞こえる。

 これにより、刀が単なる「刃物」「武器」というもの以上に、霊的な存在感を帯びてくる。正直、ぼくは途中から、見ているだけで斬られてしまうかのような、独特の緊張感をこの映画の中の刀には感じていた。

 そのようにして、本作が「刀」で描こうとしているのはおそらく、「使わないからこそ意味がある、一度使ってしまったらとりかえしのつかないもの」ではないかと思う。それをぼくらは普段、「抑止力」と呼ぶ。「使うことが目的」なのではない。「つかったら終わり」なのである。この映画で刀たちが帯びるあの神々しさは、それの象徴のような気がする。

 映画では、ピリピリとした緊張関係が続く中、ある人物の刀がついに抜かれ、使われてしまうことになる。杢之進はそのことを人づてに聞き、「なんていうことを…」と怯え始める。彼の胸に去来していたのはおそらく、ただ単に「復讐の終わりのなき始まり」への予感ではない。「使わないからこそ意味がある」抑止力が使われてしまったことへの恐怖なのである。

 現在の政治情勢を直接的に描く描写は(たぶん)、1秒もない。

 けれど、寓話だからこそ届くメッセージがある。いろいろと緊張感が高まっている今だからこそ「使わないからこそ意味がある、一度使ってしまったらとりかえしのつかないもの」について考えを巡らせるのもいいのではないだろうか。