いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】ディストラクション・ベイビーズ


のっけから最後までディストラクション=破壊に彩られた作品です。舞台は愛媛県の松山。柳楽優弥が演じる青年が、突如、通りすがりの人に素手で襲いかかり始めます。理由は明かされません。とにかく執拗です。

でも、そんな彼も最初はそんなに強くないんです。最初はむしろボコられるぐらいです。けれど、相手が倒したと思って立ち去っても、青年は血だらけでむくりと立ち上がり、追いかけていって最後にはボコボコにしてしまう。かっこ悪いんですけどしぶとくて強い。それこそ、ゴングもリングもない世界の、野生の暴力です。

理由もなく襲い掛かるわけですから、最初は「こいつやべーやつだな」と観客は唖然としてしまう。けれど不思議なことに、青年のパラノイア的とさえいえる暴力への執着に、次第に見ているこっちも血沸き肉躍ってきてしまう。いいぞ!もっとやれ!となってくる。なにか、自分が知らぬ間に抑圧してきた原初的な暴力性が、青年の暴力によって喚起されている気がするんです。

でも、そんな強烈な行動をしているのに、青年が奇抜なキャラクターというわけではない。口数は少なく、輪郭はむしろぼやけている。やっていることとのギャップがすごい。そこにこの青年の抱える孤独があるんじゃないか、とも思うんですよね。

クライマックスでは、地元松山の男たちの荒々しい祭りの映像(たぶん本当の祭りの映像)が、青年の暴力とカットバックで映されます。これを、どうとらえるべきか。ぼくは祭りが社会化された(≒合法化した)暴力に対して、青年の強行は社会化させてもらえなかった暴力だと思うのです。そうすると、彼の暴力に理由がないのもうなづける。元来、暴力に意味なんてなかったんですよ。

ぼくたちの大多数は子どものうちに暴力的な衝動を社会化し、標準化していく。一方青年は群れからハブられ、孤立し、その原初的な暴力を抱えたまま生きている。

そうした青年は哀れではあるけど、同時に死ぬほどかっこいい。ラストカットの独りぼっちの彼の姿は、その両極端の感情を両立させるすごみがあります。