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【書評】消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 / 豊田正義

消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)

消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)

昨日、埼玉愛犬家連続殺人事件で死刑判決を受けていた死刑囚が、刑の執行を待たずして病死しました。そんなさなか、奇しくもぼくが読んでいたのが本書です。本書は、その猟奇性において愛犬家連続殺人事件と比肩するほどの歴史に残る、北九州市を中心に1997年から2002年から起きた連続殺人をおったルポタージュです。

この事件の何が狂っているかというと、ありていにいえば「ある家族が見知らぬ男にあれよあれよという間に“乗っ取られ”(この表現は全く大げさでない思います)、無理やりではなくあくまで“合意の上で”つぎつぎ間引かれていった」ということです。別にそれまで取り立てて不仲でなかった家族が、男の指示ひとつで動き、弱い者から順に殺していった。その異常性といったらないですよ。

男は言葉巧みなコミュニケーションと「通電」と呼ばれる電気による虐待によって、被害者家族から考える意思を奪い、筆者いわく「学習性無力」の状態に陥れます。ある被害者男性は、男に命じられいわゆるセルフスカト×までやったそう。その上に殺されるわけです。そんなおかしな話はないですよ。

だから、読んでいて何が一番怖いかというと、法廷で語られる残酷な虐待の数々でも、殺人の瞬間でも、遺体の解体の様子でもありません。この主犯(本人はあくまで手を下していませんが)の男の感染的の魅力が、ひしひしと伝わってくるのです。それが何より怖い。本で読んでいるだけですが、それでも、この男がその類の「いつの間にか人を従わせてしまう力」があるのがわかる。それは、たとえばキムタクをさしての「カリスマ性」とはちょっとちがう。胡散臭いなあ胡散臭いなあと思いながらも、気が付けば引き込まれる類の危険な魅力なのです。

でもこの手の人って、この犯人の男ほど強烈でなくてもわりといると思うんですよ。いつの間にかコミュニケーションを自分のペースに引き込んで、いつの間にか相手が拒否できない絶対的なマウントポジションをとる人。そう考えると、この本で描写される凄惨な殺人の現場とそうしたコミュニケーションが地続きにつながっているように思えて、背筋に冷たいものが走るのでした。