いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

元旦の光景

職場の裏にはホテル街みたいなのがあって、出勤するときにそれらしきカップルの帰りとすれちがうことがままある。

きのうの朝すれ違ったのは、年恰好は30代中盤の男と、ひと回りぐらい上の女。気づいたらぼくは、男にものすごい形相でにらまれていたのだ。

一瞬のことで、気のせいかもしれないけど、その男の首が完全にすれ違う直前、90度超える寸前までぼくの方を向いていたので、多分間違いないと思う。怖かった。

印象に残ったのは、その男の睨みに怒りとともに少なからず恐怖が同居していたことだ。威嚇のようだった。威嚇とは、相手が怖いからこそ機先を制するためにするものだ。

そこでぼくは、彼の気持ちを空想する。2016年から2017年にかけての夜だ。そんな特別な夜に、寂しい思いをしたくない一心で引っ掛けた女。容姿は満足していないが、なけなしのプライドと引き換えに抱いた女を、ぼくに笑われることへの恐怖ではないか。限界ギリギリまで値引きしたプライドを、ぼくに見透かされることを、男は恐れたのではないか。

でも、そうだとするならば、それは大きな思い過ごしだ。ぼくは別に彼が連れていた女を醜いと思ったわけではない。時系列を振り返ると、男に睨まれるのとほぼ同時に、目が女をとらえたわけだから。
彼は、第三者にどう思われるという空想を通して、自分の連れていた女を見下したわけだ。そう思うと、連れられた女が不憫でならなかった。


でも男と女がセックスするのに、第三者の評価なんて関係ない。

ぼくが男の何かを見透かしていたと仮定して、それは彼の値引きされたプライドではない。ぼくが見透かしていたのは、男の心の中の醜さだったのだ。