いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

”知的ハラスメント”「マンスプレイニング」とは何か


社民党所属の八王子市議に、佐藤あずさ氏という方がいらっしゃいます。


佐藤氏が4日に投稿したブログに「特に『自分は女性に優しいほうだな』と思っている男性こそ、読んでほしい」という文言があり、ぼくに宛てて書かれた記事だなと気づき読みました。


マンスプレイニング | 八王子市議会議員 佐藤あずさのホームページ


要約しますと、佐藤氏には、「応援している」を枕詞に、恩着せがましい講釈をたれたり、ダメ出しをしたり、ときには食事に誘ってくる男性有権者が寄ってくるのだそうです。そうしたコミュニケーションに接して違和感をもった佐藤氏が知人に相談したところ、「マンスプレイニング」だと教えてもらった、といいます。

「マンスプレイニング」--初めて聞いた言葉ですが、こういう意味だそうです。ウィキペディアですんません。

「マンスプレイニングは通常、男性が女性に対して行うもので、相手が自分よりも多くを知っているという事実を考慮しようともせずに解説し出すこと」と定義する。レベッカ・ソルニットは一部の男性に見られるこのような現象を「自信過剰と無知」の組み合わせから来るものだとしている。

マンスプレイニング - Wikipedia(強調引用者)

man(男)と動詞のexplain(説明する)を組み合わせた造語です。相手の女性が自分より無知だという根拠ない前提にたって、一方的に知識を教えて悦に浸る。いわば知的ハラスメント、「知ハラ」と呼べるかもしれません。

女性にかぎらない「マンスプレイニング」被害者

このウィキペディアの文章、一読してぼくは思わず膝を打ちました。

こういうおっさん、めっちゃいる!!!
「マンスプレイニング」って、まさにかつてぼくが書いた「教えたがりおじさん」のことです。「教えたがりおじさん」は、ただただ教えてくれるだけのおじさんではありません。他人に教えることそのものを養分として生きており、ともすれば教えられている側に苦痛をも与えてしまう人たちのことです。くわしくは拙文をお読みください。

もちろん、マンスプレイニングの背景には性差の問題も絡んでいるでしょうが、実はこれ、性別に関係なく、年功序列をはじめとする組織内のヒエラルキーの中でたびたび発生していると思うのですよ。

なぜおっさんは「マンスプレイニング」してしまうのか

たぶん、そういうおっさんの多くは、若い子と話したいけど話す方法がわからないだけだと思うんですよね。そりゃ、中には下心があっての人もいるでしょうが、大部分のおっさんは若い人とかかわりを持ちたいだけなのです。
でも、その方法がわからないから、ついつい偉そうな態度にでちゃうんですよ。つまり原因は、彼らおっさんのコミュニケーション方法の乏しさにあります。そういうおっさんのコミュニケーションのコマンドには「マウンティング」と「にげる」しかないんですよ。だから、かかわりを持とうとするとどうしてもマウンティング、言い換えれば「マンスプレイニング」に出てしまう。若い人について「コミュ障だ」「コミュ障だ」と言われておりますが、そういう人だってコミュニケーション能力に「障害」があるといえる。
上か下かの関係性でしか女性と関われない悲しきおっさんたち。かつてならそれでもよかったはずですが、女性が男性と対等になってくると歪が生まれます。たぶん「マンスプレイニング」の行為自体は昔からあったはずですが、こうして概念化された背景には、女性の相対的な社会的地位の向上があるはずです。

「マンスプレイニング」を回避するには

「教えたがりおじさん」の「マンスプレイニング」について、浴びている側はただただ手をこまねいてばかりもいられません。精神衛生上よくないですし、なにより貴重な残りの人生の浪費です。
じゃあどう回避するかというと、対処はふたつしかなく、目には目をの精神で「知識を持って相手を圧倒する」か「話をスパッと切り上げる」ことです。
ただ「圧倒する」は穏便に付き合わなければならない人に対してするにはかなり難しい手です。有権者と議員の関係ならもってのほか。とくに、佐藤氏のブログを拝見するかぎり、彼女が食らっているのは「マンスプレイニング」と「ダブルバインド」(相反する二つのメッセージ(「応援している」とダメ出し)を受け取って身動きが取れない状態)のハイブリッドで、さらに後半の部分で明かされている話に関しては若干ネトストも入っている気がします。
そうなると「話をスパッと切り上げる」能力を磨くしかなくなります。この際、もっとも足を引っ張るのが実は「空気を読む」能力です。「空気を読む」能力はすなわち、相手に気持ちよく話させてしまう能力です。「マンスプレイニング」に際しましては、KYを名刀ムラマサのように研ぎ澄まし、相手の話を真っ二つにする鬼の心が必要となります。

「マンスプレイニング」しないために、「教えたがりおじさん」にならないために

ぼくのような30代の男が真っ先にするべきことは一つ、「マンスプレイニング」をしないこと、「教えたがりおじさん」にならないこと。そうした年長世代を反面教師にして生きていくことです。
でもこれ、難しい話ではないと思うんですよね。誰かに何かを教える機会があったとしても、「これって本当に相手のためになってる?」とか、「おれ今教えることで気持ちよくなってない?」とか、そういう自己点検の積み重ねだと思うのです。
また「マンスプレイニング」という語句がもしも普及したときに考えられる懸念として、教えを授けてくれる人すべてが「教えたがりおじさん」ではないことも、言うまでもありません。なんでもかんでも「セクハラ」認定されたらたまったものでないのと同様で、このあたりも女性の皆様方には心にとめておいてもらいたいものです。