いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

「○○に政治を持ち込むな」の政治性について


「音楽に政治を持ち込むな」「フジロックに政治を持ち込むな」という主張が、物議をかもしている件です。何周遅れだというトラックを鈍足でどすどす走っているので、短めにいきます。

すでに多くのツッコミを浴びているこうした主張。ぼくはまず真っ先に頭に浮かんだ疑問は「国歌は?」だったのですが、それはともかく。この主張自体がナンセンスであることは論を待ちません。音楽はすでに常に政治的であり、またフジロック、引いてはロックフェスというイベントが、歴史的にみても政治性と不可分なのは言うまでもありません。

気になったのは、「○○に政治を持ち込むな」と唱える人々の"自覚"です。もしかしたらそういう人たちは、自分のことを「単なる音楽ファン」あるいは「ノンポリ」(政治に関心がない層)だと思っているかもしれない。けれど、はたして本当にそうでしょうか? 気になるのはそこです。

「政治」を原義的――「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかかわる現象」(広辞苑より)――に解釈するとするならば、「○○に政治を持ち込むな」との主張は果たしてそれ自体が政治的ではないでしょうか。

ノンポリとはいわば、政治に関して自分の耳をふさぐことです。ところがくだんの「持ち込むな」と外に主張することは、そこから一歩進み、自身の耳でなく相手の口をふさごうとすることなのです。「○○に政治を持ち込むな」という、他者の政治性を抑制しようとする身振りそのものが、実は、政治性を帯びているといえる。

だからといって「○○に政治を持ち込むな」という主張をやめろ、といいたいわけではありません。そうではなく、自分の政治性に自覚的であるべきだ、ということです。「○○に政治を持ち込むな」と投げかけたからといって、あなたが政治から逃れられるわけではない。むしろそう主張した瞬間から、あなたの政治的主体としての輪郭はより濃くなることになる。それを自覚することが、「○○に政治を持ち込むな」と主張するうえでの最低限の責務だと思うのですが、どうでしょうか?