いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

選ばれた芸人だけが持つ“アンファンテリブル”感

「アンファンテリブル」という言葉があります。フランスの作家、ジャン・コクトーの小説、文字どおり「恐るべき子供たち」で、主人公の姉弟エリザベスとポールらを指す言葉です。大人をものともせず、ひっちゃかめっちゃか暴れ倒すふたりの姿から、大人たちの顔色を窺わず、残酷なほど無邪気にふるまうアンコントロールな存在のことを意味するようです。ぼくはそう解釈しています。

恐るべき子供たち (光文社古典新訳文庫)

恐るべき子供たち (光文社古典新訳文庫)

アンファンテリブルな存在はどこにでもいます。ぼくは、お笑い芸人の中に「アンファンテリブル」を感じざるを得ない人材を目撃します。

かつてのダウンタウンは、まさにその「アンファンテリブル」の代表格でしょう。先週も「志村けんのバカ殿さま」で、過去の傑作選をやっていましたが、30代までのダウンタウンには、相手が大先輩であろうと向かうところ敵なしの存在感がありました。アンファンテリブルの条件の一つは、場の空気を読まないことです。ダウンタウンがふたりして先輩の冠番組に乗り込み、(お笑い的に)ぼこぼこにするその姿はまさにアンファンテリブルといえます。

ダウンタウンと同様に、彼らより少し年上のとんねるずも、若いころからそうした存在感を放っていました。今となってダウンタウンが幾分落ち着いてきたのに対して、とんねるずの場合は今もなお「アンファンテリブル」感が強いですが、年齢と地位が上がった分「いじめ」だの「パワハラ」だのといった誹りもあるようです。「アンファンテリブル」は、少なくとも快感をもって視聴者に受け入れられる条件として、その言葉のもともとの意味のとおり、ある程度は若手でなければならないようです。

そして、今まさに「アンファンテリブル」として輝いていたのが、ジャルジャルだったのではないかと思います。「だった」と過去形で書くのは、彼らがもっとも「アンファンテリブル」として輝きを見せていたのが、先々月に最終回を迎えた「ざっくりハイタッチ」にゲスト出演したときだからです。一方、彼らが「めちゃイケ」にレギュラーで出ているときは、借りてきた猫のようになっているのは不思議でしょうがないのですが。それは、「アンファンテリブル」がゲスト出演でこそ活きてくることの証左かもしれません。

今後も「アンファンテリブル」はテレビ界に突如として、出てくることでしょう。その刹那の尊い輝きを、見逃したくないものであります。