いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

エレベーターをめぐるクソどうでもいい葛藤



エレベーターに乗っていて、死にたくなるほど嫌な気分になる場面があります。それは「お先にどうぞ」でお互い譲りあってしまうパターンです。扉の左右どちらにも操作パネルがある場合に頻発するのですが、降りる人がふたりいたとき、ふたりとも「開」を押して「お先にどうぞ」の体勢に入ってしまい、一瞬ながらお見合いしてしまうときがあるのです。

集団で乗っていたときは雪崩式なので気にならないのですが、ことにふたりのときにどちらもが「お先」を譲ってしまうと、「あ、あ、あ」とまごつき、アンガールズのジャンガジャンガ直前みたいな状態になってしまいます。

ぼくはあのジャンガジャンガ直前みたくなる瞬間が、気まずくて非常に嫌です。アンガールズは同郷のスターではありますが、自らの意図しないところでジャンガジャンガ前みたいな動きをしたくありません。できることならば、相手が「お先」をとってもらいたい。「お先」を譲られてほしいのです。

けれど、なかなかそうはいきません。ときに、明らかに目上の方などと同乗したときでさえ、この状況は発生します。こちらは敬って「お先にどうぞ」しているのですが、目上の方にされる場合、もはやそれは「お先に行け」ですよね。こちらは目下の者なのでしぶしぶ、「お先」を行かせていただきます。ここに、奇妙な転倒があります。

なぜぼくらは「お先にどうぞ」の「お先」ではなく、「お先」を譲る側を取り合うことになるのでしょうか。おそろくそれは、ぼくらの心に「反対給付」がインプットされてあるからです。「お先」を譲られることによって否が応でも湧いてくる「負い目」みたいなものを避けたい。しかもそれは、あとから返済しようがないほどのささいな「負い目」であります。返済できるものだったらまだマシです。だから「お先」を譲り合い、人はアンガールズになってしまう。

そう、「『お先』の譲り合い」は、一見上品なようにみえて、実は「『お後』の奪い合い」だったのであります。そこには「負い目」を被りたくないという原始的で、身勝手で子どもじみた心理が見え隠れします。

だからこそ、大人とは「お先にどうぞ」と相手に言わせ、「お先」を行く人物の別名といえます。相手に「負い目」を抱かせないために、あえて自分が「お先」を行くことによって「負い目」を被るのです。以前、居酒屋でなんこつの唐揚げのラストひとつを自ら進んで食べられる人は大人だと論じました。それと同じです。自ら進んで「お先」をとることでジャンガジャンガ前を回避し、相手に「負い目」を感じさせない。それこそが、エレベーターにおける「大人」の振る舞いと呼べるのでしょう。