「子どもが増えないと日本がなくなってしまう」のは正しいけれど「子どもを産むか産まないかは個人の自由」なのも正しいのがわからない人問題
大阪市のとある中学の校長が炎上している件にいまさら口出ししますが。
女性にとって最も大切なことは、子供を二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。
なぜなら、子供が生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか子供を産むことができません。男性には不可能なことです。
この発言がわーっと燃え上がったあとから、今度は「え、全文読んだら正論じゃん。そんな悪いこといってないじゃん」との論調も上がってきています。
しかし、ぼくからしたら、全文を読む前も読んだあともそれほど印象は変わらない。子どもを産めない場合について、里親を勧めているなど部分的な配慮は示していますし、子育ては「女性だけの仕事ではありません」というのも、「今しっかり勉強しなさい」というのも共感はできますが、やはりこの発言はその核心において、やはり承服しかねます。
その核心とは、やはり「子供が生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうから」「女性にとって最も大切なことは、子供を二人以上生むこと」「これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります」とする部分にあります。
校長の発言を「正論」だと思えてしまう要因は、おそらく「子供が生まれなくなると、日本の国がなくなってしまう」ところが事実であるからでしょう。単純計算で言うと、カップルで2人以上産み育てなければ、日本の人口が減っていくのは真です。その点では間違ってはいない。
けれど、同時に、「子どもを産むか産まないかは個人の自由」でもあります。以前も述べましたが、この国に子どもを産む義務はないのです。
校長の発言を「正論」だと述べる人々は、たぶんそこで錯誤を起こしています。子どもが増えないと「日本の国がなくなってしまう」のですが、けれど一方で「女性にとって最も大切なことは、子供を二人以上生むこと」だとは限らず、ましてや「仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります」なんて断定はできない。それはあくまで国の都合であって、だからと言って、個人の生き方を縛っていい言われなどどこにもない。
もしかしたら、「子どもを産むかどうかは個人の自由」ということは知っていても、その自由と「女性が2人以上産まないと国がなくなる」という状況が、「同時並列なんてできない」となったとき、結果的に校長の発言に与しているのかもしれません。
けれど、ぼくからすれば、この二つは別に二律背反などしていません。なぜなら、「子どもを産みたい」と考える人が増える可能性だって、ないわけではないのです。
そうした人を増やすためには、「子どもを産みたい」と思える環境を整えなければなりません。「日本死ね」と罵倒されるほどですから、おそらく「こんな環境で子どもなんて育てたくはないわい」と思っている人もたくさんいる。「子どもを2人以上産むのがよい子」だとわざわざ全校集会で押し付けるぐらいなら、「子どもを産みたい」と思えるような環境を作ること。日本が本当に死ぬ前に、それを急ぐべきではないでしょうか。