いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】神隠しと日本人/小松和彦

子どものころ、「神隠し」はテレビで見る怪奇番組の類のものでした。多くのそれは、今も戻らない失踪者を扱ったもので、ただひたすら怖かった。本書はそんな「神隠し」についてまとめた一冊です。民俗学柳田國男を始めとする先行研究を参照しながら、民族社会における神隠しについて、系統的に紐解いていきます。

本書で繰り返し明示されるのは、「神隠し」がかつての日本人が信じていた「神」「異界」「向こう側」に対するインスピレーションの産物だということです。「神隠し」とは、そうした「向こう」を垣間見るイベントといった側面があった。

もちろん「神隠し」は本当に「神が隠した」わけではありません。心霊写真も自前で作ってしまえるぼくら現代人からすれば、その解釈は到底受け入れられない。ただ、本書はそうした「科学的」な解釈をいったんかっこに入れ、失踪、蒸発を「神隠し」とラベリングすることが、当時の人々にどのような“効果"をもたらしたかを考察する試みだと読めます。

巻末にて、著者は神隠しが「人隠し」であると同時に、待っている側の人間にとっては「現実隠し」だったと指摘している。失踪者がいなくなった真の理由――しばしばそれは関係者にとって都合の悪い理由――を、「神隠し」と呼ぶことで体よく覆い隠せるのです。現代人は「神隠し」を失ったとともに、その「現実隠し」をも失った、というのです。

たしかに、今やわれわれは知りたくもないことを知る機会がありすぎます。たとえば恋人との別れ。どうしてあの子はあなたの元から去ったのでしょう。他の男ができた、交際は一瞬の気の迷いだった、そもそもカネ目当てだった……等々。それら合理的な理由は、筋が通っているがゆえに、余計にぼくらを傷つけます。

ところが、彼女が「神隠し」にあったと思えたならどうでしょう。別れは悲しいですが「神隠し」なら仕方ないと思えてきませんか? 著者が述べる通り、現代のわれわれこそ「神隠し」という社会的装置が必要なのかもしれません。

なお、本書は民俗学的なアプローチゆえに扱う事例が近世、遅くても近代までのものに限定されます。ぼく自身が最も強烈に覚えている「神隠し」といえば実は北朝鮮による拉致被害なのですが、それについては触れられていません。