いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

子供心を忘れないのはそんなにいいこと? 映画「リトルプリンス」への違和感

先日、アニメ映画「リトルプリンス 星の王子さまと私」を観ました。公開を前に世間は完全に「スター・ウォーズ」一色ですが、空気読まずに別の映画の話をしますよ。

フランスのアニメ映画という珍しい一作で、例のサン=テグジュペリによる「星の王子様」あるいは「小さな王子様」として知られる児童文学の後日談を描いています。

小さな王子さま

小さな王子さま

原作は、小さな星からやってきた王子と、語り手となる飛行士「ぼく」の話です。本作は、母親によって抑圧される少女が主人公。おじいちゃんとなった「ぼく」の家のとなりに、彼女が引っ越してきたところから話が始まります。

原作から引き継がれるメッセージ「子供心を忘れちゃダメ!」

「星の王子様」といえば、原作は読んでなくても部屋に飾っておくだけでメルヘンがれることでJDに重宝されているのが有名ですが、それはともかく、内容を一言でまとめてしまえば、子供心を忘れちゃダメだよ、ということになるかと思います。少なくともぼくはそう受け取りました。

本作も、メッセージは基本的には原作を踏襲しています。紆余曲折があったのち、少女は飛行船に乗って必死の思いをして「いまの王子」は見つけますが、彼は子供心を忘れ、変わり果てた姿になってしまっていたのです。そこでもやはり効いてくるのが、「子供心を忘れちゃダメ」というメッセージ。

「子供心を忘れた大人」よりも深刻な存在

ですが、ぼくはそこが物足りなかった。というのも、少なくとも2015年の日本においては、「子供心を忘れた大人」よりも、「子供心を忘れられない大人」のほうがよっぽど深刻なように思えるからです。

世の中には個性がなんだ、世界に一つだけのなんだといったコピーがあふれています。ネットを開けば「好きなことで、生きていく」と強迫的なCMが繰り返される。そのように、身の回りには「子どもを卒業しなくていいんだよ」というメッセージが氾濫しています。そして、ぼくも含めて、そんなメッセージ踊らされた「大人」の方がはるかに多いのではないでしょうか。


だから、本作での王子の描写は片手落ちです。少女が見つけた王子は当初、子供心を忘れた上、仕事もろくにこなせないどうしようもない人間になってしまっています。映画はそんな現王子の姿をもって、あたかも子供心を忘れてしまったからこそ、惨めな姿になってしまったといわんばかりです。

しかし少女が出会う大人は、王子以外もみな子供心を失っているのです。そうならば、王子様以外の大人が、なぜ彼みたいに惨めにならあいのかがわからなくなります。

むしろあそこは、王子が子供心を忘れていない昔のままのキャラクターであるべきです。そんな彼が、目を輝かせながら3K仕事に励むことこそ、観客はまがまがしい現実を垣間見ることができるのです。

アニメのクオリティは高し。ただメッセージが単調なのが残念

CGとストップモーションを併用するアニメーションのクオリティは、それこそディズニー作品に引けをとらないように感じました。ただし、ここまで書いてきたようにそのメッセージ性としては、一本槍です。近年のディズニー作品にみられる、一見わかりやすいようでいて実は相反するいくつものメッセージが複雑に絡みあうような深遠さに比べれば、たんぱくで見応えに欠けることは否めないのでした。