いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「教えたがりおじさん」にご用心

世の中には「教えたがりおじさん」という属性の人たちがいる。彼らは得意分野について、若い世代にやたら教えたがる。

こうした人は男性の、とくに比較的に年配に多い。だから「おじさん」なのだ。けど、いわゆる「老害」とはちょっと違う。「教えたがりおじさん」は、若い世代がものを知らないことを喜びはすれど、バカにしたり叩いたりはしない。むしろ、人のピンチを知ると、待ってましたとばかりに嬉しそうに駆けつけてくるのだ。

「教えたがりおじさん」に教わるのは疲れる

そうした「教えたがりおじさん」を駆り立てる動機には、親切心だとか、世話焼きだとかいうものもあるだろうけど、それだけにも思えない。というのも、彼らと接していると、やたらと疲れるのである。

「教えたがりおじさん」に教えを請うているとき、不思議な現象に遭う。相手の「教えたがりおじさん」と、「会話している」という手応えがまったく感じられないのだ。こちらとのコミュニケーションというより、一方的に知識の羅列を浴びせられている感じだ。

また「教えたがりおじさん」の話は、こちらが知りたい情報だけでなく、どんどん「関連項目」と言う名の別の話題へと移り変わっていく。こちらが「知りたいこと」のみで終わってくれることはまずなく、たいていは聞き手が長時間拘束されることとなる。

でも、聞いている側は仮にも親切してもらっているわけだから。無下にはできない。すると今度は、聞く側が気を使い始め、いつしか「教えてもらう」のではなく「教わってあげている」ような気になっていくのだ。

「教えたがりおじさん」の真の目的とは

「教えたがりおじさん」のあの感じは何なのだろうと考えたとき、ぼくはふと気づいた。あれは「教える」という形をとって、ただ単に誰かに話をしたいだけではないか。彼らの真の目的は、会話の欲求を充足することなのではないか。

巷ではよく「男は女の話に解決を提示するな。女は話を聞いてもらうことですっきりするんだ」というステロタイプの言説が流れている。「教えたがりおじさん」を見ていると、「話を聞いてもらうことですっきりする」のはなにも女性だけではない気がしてくる。「教えたがりおじさん」だって、「教える」という行為を通して人に話を聞いてもらいたいだけなのではないか。

ここには興味深いジェンダーの非対称性があって、女性の話が「悩み」「愚痴」を「聞いてもらう」という弱い立場をとるのにたいして、「教えたがりおじさん」は「助けてあげる」「教えてあげる」という強い立場をとって、欲求を発散している

「教えたがりおじさん」の「いいことしてやった」感

ただ、始末におえないのは断然「教えたがりおじさん」の方だ。なんといっても、彼らは「親切」をしてあげていると思い込んでいるのだ。
親切なところもある。親切ではあるのだが、一方でここまで述べてきたとおり、自覚的にか無自覚的にか、「教えたがりおじさん」は会話への欲求を「教える」ことで発散しているのだ。彼らはあたかも自分が「いいことだけをしてやった」という心地いい気分で会話を終えられるのである。意気揚々として帰っていく後ろ姿に、何よりもイラっとくるではないか。

また、ストレートの男からすれば、女性の「悩み相談」「愚痴」はまだ聞きがいがある。女性から頼りにされていると思うだけ、嬉しいではないか。対する「教えたがりおっさん」に教わるのは、教わったらこと以外ほとんど何のメリットがない。メリットもないけどへえこらと聞いてあげたあげく、「いいコトしてやった感」を出されるのである。最悪ではないか。

「教えたがりおじさん」については、「知りたいところだけ聞いて、すんだらスパッときって礼をしてさっさと退散する」のがぼくの考える中で最適な対処法である。あなたがよっぽど親切な人か、時間を持て余す暇人でないかぎりは、そのようにやり過ごすべきだろう。