いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

高齢社会で女性が「選択」に苦しめられる?

とくにオチがある話ではないのだが。
4月に入社した新卒の若者たちが、そろそろ落ち着き始めているが、そんなおり、ピチピチの新卒ギャルひとりに、興味深い話を聞いた。


その子の友だちにいる新卒同士のカップルの話だ。彼氏のほうが名のある大手企業に入社し、彼女のほうは同業といえば同業だが、規模ではかなわないような中堅に入社したという。両方都内に住んでいる。

そして、この彼が勤める大手というのが、もうほとんど例外なく、入社して1、2年でソッコー地方の支店に飛ばされてしまうそうだ。

ここで彼女とは遠距離になってしまうが、どうやらこの彼氏は彼女に仕事を辞めてついてきてほしい、と打診しているようだ。

彼氏がどの地方に飛ばされるかわからないが、もし彼女がついていく決断をすれば、そんな簡単に今の仕事と同じような待遇で、やりがいのある仕事が見つけられることはないだろう。

専業主婦になるという手もある。彼氏は高給取りで、当面の経済的な安定は約束されている。

けれど、彼女は彼女で、そう安々と家庭に入るようなタイプでなく、もっと働いてみたい希望がある。

一方で同時に、20代のうちに早く結婚して子どもがほしいとの希望もあり、いまの彼氏を切ってつぎがそう簡単に見つかるかも不透明だ。

いまぼくはあえて「けれど」「一方」という逆説を2連続で使った。文章として不格好なのだけれど、それはこの話の彼女の「右往左往ぶり」が出したかったのだ。

このように、複数の状況設定と、叶えたい希望を比較衡量しながら、彼女は様々な決断を強いられているのである。女性の中には新卒数ヶ月で、そんな決断に迫られている人もいるということだ。


ぼくが思ったのは、全体的に早くね? ということである。22歳である。そんな若者に人生の決断を強いるのだろうか社会は。

依然、女性にとって仕事(を続ける/辞める)、結婚(する/しない)、出産(する/しない)は大きな決断になっている。これらに中間はなく、当たり前ながら二者択一だ。先送りするのは選ばないという選択と同じなのだ。
そして、その女の子いわく、おそらくどちらを選んでも絶対に後悔するという。選ばなかった方は、永遠に自分の経験からは失われてしまうからだ。

これらすべての決断が、現状は20代から30代、遅くても40代前半までに集中しているのだ。これはなかなか酷な話である。
仕事については、いわゆる「M字カーブ」の問題があり、一度キャリアを外れたら元の地位に戻りにくい現状がある。それは今後、社会の側が是正していくべき懸案であるのだろう。
結婚に晩婚化の傾向があるほか、妊娠・出産についても医療技術のさらなる進歩で適齢期にゆとりが生まれるかもしれない。

けれどもそれでも、とりあえず現状は「決断は早い」に越したことはないのである。リスクは少ないのである。


ぼくに「早くね?」と思わせる要因は、もうひとつある。女性の平均寿命の伸長である。

いまや女性は、平均で80歳代まで生きなければならない。

もしこれが、平均寿命40代の世界ならば、20代で大きな決断を迫られることにも納得がいく。ちょうど折り返し地点である。きりが良い。
けれど、実際は80まで生きる(と想定した)上での20代である。あと60年ある。まだまだ序盤じゃないか。もうちょっとダラダラさせてくれ、と私女なら感じると思うの。……人生を酸いも甘いも体験した上で、満を持して決断したいではないか。

こうした状況について、権力者でもなんでもないわれわれ小市民の男たちは、どのようにコミットできるのか、と考えると、難しいのは、女性にとってこちらは選択肢でもある側面があるところだ。
例えば、あなたは意中の女性にとって、金づるAくん、BくんのうちのAくんの方であって、女性はAにしようかBにしようかで迷っているかもしれないからだ。


…と、ここまでは半分冗談だが(ということは半分本気でもある)、真面目な話をすれば、おそらくそれは決断への責任感を軽減させることしかないんじゃないだろうか。


彼女、妻がどんな選択をしても「一緒に選んだぞ」と気持ち的に連名で署名をする、ということ。

どちらを選んでもどちらを選ばなかった後悔を少なからずするのである。男側からできるのは「大丈夫大丈夫、間違っていない」とフォローすること、それぐらいではないだろうか?