いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】神は死んだのか


奇しくも、二日続けて「神」とタイトルにある映画を観たわけだが、衝撃度は悪い意味で今日の作品が上回るかもしれない。
なんだろう、予期せぬ方向から頭を横殴りされた感じ。殴ってきた相手は、実は神だったのかもしれない。


本作『神は死んだのか』は、全米の大学で実際に起きているという、神が実在するかをめぐっての教授と学生の論争を映画化した作品。原案には原題とおなじ『God's Not Dead』という著作があるのだとか。

有神論者と無神論者の共存は可能か?

衝撃を受けたのは、それだけ期待していたということの裏返しなのだと思う。
日本人のように、乱立する神を、都合よく死なせたり生き返らせたりできるいい加減なお国柄とちがって、アメリカでは政治に強く影響するほどに宗教はビビッドな問題だ。
そんな国の大学で、敬虔な信者が近代以降の学問を学べば、嫌が応でも摩擦が起きそうだ。信仰心のあつい学生がいたとして、信仰に反することを教わった場合に彼はどう切り抜けるのか。そして、大学側は学生の信仰にどうコミットするのか
それは、神を信じる者、信じない者がどうやって共生していくのか、という問題につながる。
また、神の存在論争そのものも興味深い。予告編の印象からすると、教授と学生の間で、神を巡っての知的な論理ゲームが繰り広げられそうな期待を抱かされたのだが……。

徐々に頭をもたげるこの映画の「真意」

最初に異変を感じたのは、教授の側にである。
哲学思想の講義を受け持つラディソン教授は最初の講義で、信仰の自由は認めつつも、教室内では「God Is Dead」と書いて宣誓せよと学生たちに申し渡す。主人公の新入生ジョシュがそれをつっぱねたことで、ストーリーが立ち上がる。
神を否定せよという命令が、教室内だけ「神をかっこにいれて」思考せよという申し出ならば、まだギリギリわかる。
しかしその後、ラディソンは折れないジョシュに対して徐々に本性を見せはじめ、もはや言い逃れ不可能な「アカハラ」、成績をちらつかせ脅しをかけ始めるのだ。


見応えあるディベートを期待していたこちらとしたら、このあたりで疑念が頭をもたげはじめる。
アカハラで学生を黙らせようとしている時点で小物臭ただようが、さらにこの教授、教室内の論争においても「おまえ、チョムスキーに反論するのかこのやろー!!」などと個人崇拝(これもいわば宗教だ)を持ち出し、わめきだす。
そして後半にかけてはついに、自分が神を信じなくなったのには理由がある、と私情まで持ち出すのだ。あんた、めっちゃ神にとらわれてますやん!

「神が存在する」という事実を伝える映画

ここまで来て、ふくらみつつある疑念は徐々に確信へと変わる。このダメな教授は「噛ませ犬」だったのだ。
この映画の主眼にあるのは、大学で勃発した神の存在論争そのものではない。あらかじめ作り手たちの中で、その論争への答えは決まっている。
無神論者が「噛ませ犬」にされたことからもわかるが、作り手は最初から、「神は死んでいない」という確信の側に立っているのだ! もうかぎりなく、すがすがしいほど!!
これに気がついたとき、ぼくの中を走った衝撃を、想像してもらえるだろうか。学生時代、友だちに誘われて行った学食で、相手の流暢な話が徐々にスピリチュアルめいていく感じ。あれ、あれ、おかしいぞと思っていたら、ついに会話に「主」が入ってきたときのあの感じ。そっくりである。


つまりこの作品は、「神は存在する」ということを、まるまる一本かけて伝えようとしているのである。これにたまげた。われわれ観客は、実は勧誘されていたのだ。


もちろん、今までにだって主にキリスト教をはじめとする宗教をモチーフにとりあげ、日本で公開された外国の映画なんて腐るほどある。
だが本作は、それらとは根本的にちがう。この映画の目的は、神が死んでいないという「既定事実」を観客にわからせるという目的ただ一点に注力している。
神を信じるのは自由であるが、それをここまで真正面から打ち出した作品もそうそうあるまい。

無神論者がたどる悲惨な末路

でははたして、この映画に「神は死んでいない」と確信させるだけの力はあるのか? 説得されうるのか?
少なくともぼくは全然で、気持ち悪いとしか思えなかった。後半はほぼ5分おきに、「キモ、キモ」と声なき声をあげていた。
教授と学生のディベートは、単に教授の側が自爆しただけだし、なによりも共感できないのは、無神論者たちが悲惨な末路をたどる場面。あれはいわば「神を信じない者はさっさと召されちまえばいいんだ」と言っているようなものだ。
それでは印象が悪すぎるし、かえって態度が硬化させる人だっているだろう。

共通するのは「見せ方」による幻惑

興味深いのは、教室で学生たちに向かって洗練されたプレゼンで神を証明しようとするジョシュ、最後のライブで高らかに神の存在を歌うニュースボーイズという実在のクリスチャン・ロックバンド、そして、彼らを登場させることで成り立つこの映画が、ある共通点で同心円状に並んでいるということだ。
それはつまり、“見せ方”が全てであるということ。見せ方を洗練させれていれば、少々論理におかしなところがあっても、人を幻惑してsuperstitionでさえ、信じこませることは可能だということだ。
クライマックスの字幕にも驚く。いちおうネタバレなので伏せるが、あの文章によって、この映画の立場が完全に明確になったといえよう。


それからもう一つ、英語版のWhikipediaに6日現在、衝撃の文言が記されていた。

It has been announced that Pure Flix Entertainment is planning to produce a sequel, God's Not Dead 2.
Pure Flix Entertainmentは、「神は死んだのか2」の制作を計画している。


God's Not Dead (film) - Wikipedia


オー、ジーザス!


【2016年9月30日追記】

続編「God's Not Dead 2」は今年の4月1日、公開されました。まことに残念ですが、金をかけたエイプリルフールネタではなかったようです。
GOD'S NOT DEAD - A LIGHT IN DARKNESS — OFFICIAL SITE — IN THEATERS MARCH 30