いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】百円の恋


「百円の恋」というタイトルが示すように、安藤さくらを主演に向かえて本作が描くのは、お金もない、恋人もいない男女が、そこに居合わせたというただ一点において、とりあえず付き合う「間に合わせの恋」「安っぽい恋」だ。


32歳にもなって停職につかず、実家で無目的に日々を浪費し続けている一子。子連れで実家に帰ってきた姉との諍いから家を出た彼女は、ボクシング、そして「定年」間際のプロボクサー・狩野(新井浩文)と出会う。

二人の恋が「百円」というのは、初めて口をきいたのが一子のバイト先のコンビニ「百円生活」だったということももちろん関係するが、それ以上に「断られなそうだったから」という、女性側からしたらきわめて萎える理由で狩野が誘ったことからわかるように、それが消極的で、場当たり的な「間に合わせの恋」だからだろう。

けれど、恋は値段じゃない。いや、安っぽいからこそ、それを紛らわすかのように没入していくものなのかもしれない
実家で「女を捨てた」と息巻き、プリン頭を長々と放置する一子だったが、狩野といるときにどうしようもなく「女」になってしまう姿は、なんともイジらしい。正直、かなりかわいいぞ。
この映画は、内なる「女」にしっぺ返しされる、いわゆる“こじらせ女子”を描いている側面がある。また、一子に落ち度はないのだけれど、彼女の「女」は「外在的な脅威」にもさらされる。

狩野の引退とすれちがいにボクシングを始めた一子は、めきめきと腕を上げていく。このあたり、誰がどーみても、安藤さくらの身のこなしがマジもんのボクシングで、少なからぬ練習を積み重ねて撮影に臨んだことが、否が応でも伝わる。コンビニの控室の暗がりでシャドーしているシーンなどは、かなりカッコいいぞ。


半ば強引にプロテストを受けて合格、渡りに船でデビュー戦を戦うことになる一子。このあたりはまんまスタローンの『ロッキー』で、ジムの会長が揶揄していた「自己実現としてのボクシング」と何が違うんだといえば、結構紙一重なんだけれど、それでも、泣きじゃくる一子と、その手を引く狩野が暗がりに消えてくるラストシーンには、安いと思っていたらとたんに“高騰”する、恋の不可思議さを思わずにいられない。