いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

クリスマス粉砕デモに言葉をかけてあげるとしたら……

小ネタだが、今年もこういうのがあったそうだ。

クリスマスを目前に控えた12月21日午後、若者やカップルで賑わう東京・渋谷で「恋愛資本主義反対」を掲げる集団「革命的非モテ同盟(通称:革非同)」が「クリスマス粉砕デモ」を実施した。

今回参加したのは社会人や学生、ニートら25人。「クリスマス粉砕!」と書かれた横断幕を掲げ、警察官に誘導されながら渋谷の街中を30分かけて練り歩いた。
「カップルは自己批判せよ! リア充は爆発しろ!」 「非モテ同盟」が渋谷で「クリスマス粉砕」デモ


彼らが唯一評価できるのは、誰とは言わないがネットで自分とデートする権利を3万円を売り出し、批判されたらネタだったとか言い出す腑抜け野郎と違い、ちゃんと足を使って行動しているところだ。その点は評価できる。

「これからクリスマスが来るけど、万が一、当日に寂しくなったら、『クリスマスはあのとき粉砕したんだ』と思い出してもらえれば。そして2月のバレンタイン粉砕デモにも、ぜひ参加してください」

この言葉なんて、ちょっといいこと言った感じになっているではないか。ウルッとくるぞ。



ただ、彼らの運動がイマイチ共感されにくいのは、それが理不尽な要求だからだ。

「この時期になると、世の中全体がクリスマスを楽しまないといけない、カップルで過ごさないといけない、という雰囲気になる。しかしそのために、モテない人々は苦しんでいるのです。こうした強制的とも言っていいイベントに抵抗するために、粉砕デモを行なっています」


この主張はもっともらしいようで、実に理不尽だ。
数字でわかる所得格差や、他者を排除する加害性を帯びた人種差別について声をあげるのなら、よくわかる。
けれど、表面的には実害が一切ない、むしろ経済活動には好影響を与えるようなクリスマスシーズンの催しを否定する合理性は、なかなか見出しにくい。
文中で10代の女性が「素直に楽しめばいいのに」と冷たく言い放っているが、「踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という言葉があるように、自分で楽しめばいいのである。


彼らの不幸は、自身の中で燃えたぎる理不尽な憤り・怨恨・憎悪・非難を、デモという民主的、手続き的な手段によって主張しようとしていることだ。
そんなことでは何も解決しないし、共感してくれる人も少ないだろう。彼らの感情がそもそも、民主的な手続きでは解決し得ない類のものなのだから。
この際、彼らもはっきりと認めればいいのである。自分たちの要求は幸せな人たちへの嫉妬心であることを。


何も、理不尽な不満を抱いてはいけないという話ではない。
生きていれば、理不尽な感情に振り回されることなんかいくらだってある。それが自分でも筋の通らないものだとわかっていれば、よりいっそう辛くなってくる。それでもなお抑えが効かず、その感情はどんどん醜く肥大化していくのである。


では、こうした理不尽な思いを、合法的なやり方で晴らすにはどうすればいいか。
直接的ではなく、あくまでも迂回路ということになるが、それは多くの人が学校の保険体育の授業で習ったであろう「昇華」である。

クリスマス粉砕デモ隊の人たちには、もう一度この「昇華」の役割を見なおしてほしいと思う。
バカにしてはいけない。「昇華」によって創造的な活動をする人は、思いの外多いのだ。
あげだすとキリがないが、漫画界ならば、花沢健吾がもっともわかりやすいうちの1人だろう。彼が現在連載中なのが、『アイ・アム・ア・ヒーロー』という作品だ。

アイアムアヒーロー 1 (ビッグコミックス)

アイアムアヒーロー 1 (ビッグコミックス)

主人公は鈴木英雄という売れない漫画家なのだが、ゾンビが出現したことによって世界は一変する。彼らの出現で、「持て(モテ)る者」がどんどん死に絶え、英雄たち「持た(モテ)ざる者」たちがサバイブしていくのである。
現実で辛酸を嘗めている読者からすれば、これほど愉快なことはないだろう。
花沢自体はすでに十分売れている作家だが、それは重要ではない。大切なのは、この作家がつねに「冷遇されている」という情念をもって執筆活動をしている、ということの方だ。


自ら創造する作品においてこそ、理不尽な嫉妬、願望、情念は自由に充足される
もちろん、どの分野であろうと作品制作にはそれ相応の技巧が必要である。また、作品がものになるかはわからない。
が、「民主的」なデモに訴えるよりは生産的だと思うのだが、いかがだろうか?