いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】ドリームハウス 80点 ※後半部の赤字でネタバレ

ダニエル・クレイグがマイホームパパを演じる映画『ドリームハウス』は、あっと驚く展開と、切なすぎる余韻を残すサイコスリラーだ。
出版社の敏腕編集者を退職し、田舎に買った中古物件で妻と娘2人との作家生活に入ることを決めたウィル・エイテンテン(クレイグ)。
住み始めたのもつかの間、家の周辺で不審なことが起こり始める。家族を案じ警戒し始めるウィルはその後、その家にかつて住んでいた一家が惨殺されていたことを知る! しかも、容疑者の父親ピーター・ウォードは、いまも近くの精神医療施設に入院してるとか!
事故物件じゃねーか不動産屋のバカ! というツッコミをする間もなく、エイテンテンはその事件の真相を追うことになるが、その先にはとある大どんでん返しが待っている。序盤の仲むつまじい家族4人のやり取りにほんわかした鑑賞者ほど、中盤でどよーんとした気分にさせられることは請け合いである。正直いうと、ぼくはマジで途中で「嘘だと言ってくれ!」という、エイテンテン本人に近い気持ちを味わった。

この後の展開を話すと否が応にもネタバレになるので難しいが、「大どんでん返し系映画」にしてみれば意外なほど中途半端な時間帯に最初の大きな種明かしがなされる。じゃあ残りの時間は何なのかというと、物語に「落とし前」を付けていく作業といえるかもしれない。
とりあえず言えるのは、この作品も「見終わったらソッコーDVDを最初からプレイしたくなる系映画」のひとつに数えられるだろうということ。


以下、ネタバレ解説と感想。

事件を追うエイテンテンは、殺人犯が入院していたという医療施設を訪れる。そこで、家族が惨殺されたのは実はエイテンテン本人であったことを、知らされる。彼の住む家は事件の現場であり、彼自身が正気を保つためにこしらえた幻覚を投影する廃屋(=ドリームハウス)だったのだ。エイテンテンという名前は、彼の患者としての認識番号「81010」(エイト・テン・テン)からとられた偽名。娘による可愛らしいイラストが描かれた草稿ノートは、彼の頭の中のモヤが晴れると、惨劇に苦悩した父親としての悲痛な殴り書きに変わる。
冒頭シーンで「GPH」という出版社を退職したエイテンテンだが、この「GPH」とは後に彼が−−彼自身が以前入院していたことを忘れて−−訪れることになるGreenhaven・Psychiatric・Hospital(グリーンヘブン精神医療施設)の略だったことがわかる。冒頭で彼の退職を惜しんでいる同僚たちは、みなこの医療施設では患者や看守、あるいは彼の主治医といった姿で現れる。退社シーンはほんの数十秒だが、ところどころに不自然な点があることは、真相を知るとすべてが氷解する。もちろん、医療施設での姿こそが真の姿だ。
彼の家族を殺した真犯人は、向かいの家に住んでいる夫が妻の殺害を依頼した男。彼が家を間違えたことで、エイテンテン/ウォードの妻と娘達は殺害されてしまったのだ(ひでぇ話だ)。実はこの男も、映画開始直後に列車内で妙に親しげに微笑みかけてきて、エイテンテン/ウォードは不快そうにその場を去っている。この場面は彼の幻覚内と思われ、殺人犯が現れたのは殺害現場で顔を見ていたからだろう。
あと小ネタでは、エイテンテンが架空の仕事に「編集者」を選んでいるのは、自分の記憶を"編集"していることのメタファーなのかなーと思ってみたり。
事件解決後、彼が書こうとしていた本が、この事件についてだったことが示されるが、序盤でレイチェル・ワイズの演じる妻に本の構想を問われ、「今 君が見えてるくらいにはっきりしてる」と自信たっぷりに語るセリフは、彼女がもうこの世にいないのを暗示しているのだろう。
ただ一点、納得できなかったのは、作品自体が幻覚と幽霊を混同しているように見えるところ。幻覚と幽霊はちがう。途中までは妻や娘はエイテンテン個人だけにしか見えない幻覚のように描かれ、だからこそ切ないのだが、終盤で一度、主人公のピンチを助けてしまう。こうなると彼だけに見える幻覚というより、どちらかというと幽霊になってしまうんじゃないか、という気がした。
ただ、それでも、小じんまりした作品と高を括っていた予想は大幅に覆される良作であることには変わりない。