いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】家族という不思議な集合体についての小説「ひなた」

ひなた (光文社文庫)

ひなた (光文社文庫)

家族とは不思議なものである。
いや、ここでいう「家族」とは、父親や母親や兄といった、具体的な続柄というより、その集合体の方を指している。
孤児院で育たないかぎり誰もが、物心つくころには形はどうあれ「家族」と呼ばれるものの中に住まい、それは当たり前になっている。けれど、その光景をやや俯瞰してみると、とても不思議な、無根拠な集合体であることがわかる。
芥川賞作家・吉田修一の長編小説『ひなた』は、家族の不思議さにせまる長編小説。4人一家の大路家を舞台に、長男・浩一とその妻の桂子、次男の直純とその彼女の新堂レイの4人それぞれの視点から、四季を巡って行く。


今まで読んだ同じ吉田作品でいうと、『パレード』に一番近かった。
ルームシェアをする5人の若者の視点から描かれるあの作品は、共同体において本来居心地がいいはずの「我関せず」という習俗の、グロテスクな暗部を描いていた。一方、4つの視点から語られる本作『ひなた』も、それぞれが「秘密」を抱きながら、同時に「それでも家族は家族としてなりたってしまう」ことを、希望を持って語っている気がする。

けれど、その希望の一方外には、「無根拠」という闇が待っていることも、本作は暗に仄めかす。
桂子の高校時代、ポツンと座っている母親を見つけて驚く場面。

「どうしたのよ?」
「……別にどうしたってこともないのよ」
「ないんだけど?」
「ほら、ずっとお母さん、この家にいるじゃない? 朝、あなたとお父さんを送り出したあと、ずっとこの家であなたたちの帰りを待ってるじゃない」
 語り始めた母の言葉を聞きながら、正直なところ、な〜んだ、そういうことかと私は思った。ある意味、どこにでもあるような妻というか、主婦の不安なんだろうと。
「……ね? お母さん、この家で待ってるでしょ?」
「そうね、待ってるわね」
私は母親の前に座り込んだ。
「でしょ? それがね、今日の今日までまったく普通だと思ってたんだけど、さっきね、階段を上がりながら、ふと、なんていうのかしら、『お母さん、何でここでこうやって普通に待ってられるんだろう』って、そう思っちゃったのよ」
p.236


吉田作品を読み慣れた読者なら予想がつくように、この存在論的な不安に対し、何かわかりやすい処方箋が用意されているわけではない。物語の結末も、いつものように、何かが起こりそうな直前でプツンと途切れさせる、ある意味「ずるい」終わり方である。
が、ぼくは、この家族がお互いに隠し事をしながらも「それでも、なぜか上手くいってしまう」ということに救いを見いだそうとするこの作品が、嫌いではない。
少なくとも、「何でも話せる家族」なんかより、全然ましだと思う。