いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】主人公は僕だった

ウィル・フェレル主演のラブコメ映画。
とはいっても、一連の「俺たち○○○」シリーズとはことなり、彼の人を食ったキャラクターは鳴りを潜め、演者に徹している印象だ。


フェレルが演じるのは、毎日測ったように決められた時間に決められた行動をする生真面目な国税局職員のハロルド。彼の友達は同僚たった1人で、恋人もいない。趣味もなさそうだ。だが彼自身はそれに何の不満もなく、ずっとそんな無機質な日々が続くと思われた。ある水曜日までは……。


タイトルからぼくは『トゥルーマン・ショー』を想像したが、そうではなく、本作は『ドン・キホーテ』のようなメタフィクション構造を成している。
ここまで、理知的な声で彼について説明していた女性ナレーター。実は彼女もこの物語に深く関係する。いや、それどころかがっつり実体として登場してしまう。
というのも、ある水曜日の朝から、彼女のナレーションがハロルド自身に聞こえるようになってしまうのだ!


ここからが笑える。鑑賞者からすれば何の変哲もないナレーションでも、彼にとっては正体不明の謎の声なのだ。おまけに、そのナレーションはハロルドのその時々の心情を言い当てるものだから、ますます不気味である。他の人には聞こえないため、声に悩まされている彼はあちこちで不審がられる。医者で「統合失調症」と診断されるが、まさにそうとしか思えない。
このあたりは、キャラクターはいたって真面目だが、やはりフェレルのコメディアン体質が活きてきて、ゲラゲラ笑える。


その上、ハロルドは彼の物語のナレーターであり、彼を主人公とする小説の執筆者カレンを見つけてしまうのだ。作者自身と遭遇したことで、ハロルドと彼の生きる世界がまったくの「フィクション」などではなく、現に存在する現実世界ということが明示されるのだ。だがそれでも、カレンのつむぐ物語が彼の行動を決定していく。

つまり映画は、小説家が執筆する作品内の主人公が小説家に会い、そのことがさらに作品にフィードバックされていく、という奇妙なねじれ現象を描いている。
税金の申告漏れをきっかけにクッキー屋の女・アナと出会い、恋仲になるハロルドだが、カレンの作品に共通するある厄介な作風から、彼は物語の結末で絶体絶命のピンチを迎えることが予告される。
彼女のこれまでの全ての作品で、主人公が最後には死んでしまっているのだ!


精神科医では埒が明かず、文学部の大学教授を頼っている(これも面白い)ハロルド。ダスティン・ホフマンが演じる雰囲気のある教授だが、小説の草稿を読んだ彼から、ハロルドは自分を主人公とするその作品が歴史的大傑作であることが告げられる。そしてその大傑作の結末で、カレンのこれまでの作品と同様に自分が死ぬことについても。
ここで彼は、ある大きな決断を迫られる。
小説の執筆をやめてもらい、平凡な余生を生きるのかそれとも、命を失い、大傑作の主人公として何十年何百年も読み継がれる存在になるか。

ハロルド、もしくはカレンの下した決断、そして彼の命運については、ぜひ自分の目で確かめてもらいたい。