いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

自殺の「被害者」を無視する長谷川豊氏の自殺否定論

元フジテレビのアナウンサー、長谷川豊氏が理研笹井芳樹氏の自殺に関連し、気炎を上げている。

僕は笹井さんに同情しない。
笹井さんはやらなければいけないことが沢山あった。
そこから逃げ出して、周りを、笹井さんを大切に思う何人もの人を傷つけた笹井さんの行為を、僕は絶対認める気はない。

異論、反論、好きにどうぞ。意見は絶対変えません。

心情を理解できるかどうかじゃない。
自殺は殺人です。殺人行為は認めません。

http://blogos.com/article/92136/


現代の社会通念的にみれば、「自殺はよくない」という彼の主張の一部は全うを通り越して、ありふれている。残された人たちを傷つけるからよくない――おそらくその考え方が「標準的」なのである。
長谷川氏が対決すべきなのは、「自殺の自由」を唱える人々なのだが、ここで彼らは相手にされていない。彼がここで対立しているのは「自殺者に同情する人たち」なのである。




でもな…



でもな、長谷川君。(ここパロディね)




長谷川君の「自殺はよくない」論がおなじ「自殺はよくない」論者からみても首を傾げざるを得ないのは、死者を貶めている点である。
この点については、長谷川氏自身が用いた「自殺は殺人」だという表現がわかりやすい。
彼は自殺の「加害者」の側だけを批判するのだが、自殺の実行者は同時に「被害者」でもある。自殺を「殺人」と表現するならば、「被害者」の側を悼む必要はないのだろうか?
自殺者に直面したとき、多くの人が何とも言えない気持ちになるのは、まさにこの加害者/被害者の両義性にある。そのことを抜きに、単純化して語る長谷川氏の論はわかりやすいのだが、やはり承服し難い。
また、「メディアが死に追いやったのでは?」という、いるのかいないんだかわからない藁人形を相手に議論を始めていたはずが、こちらについてはうやむやにしている。
けれど、「自殺はよくない」と「メディアが死に追いやった」は、もちろん両立できる。


この件について、彼は立て続けに精神疾患を患った場合の自殺についてもとり上げている。

「精神状態が不安定」なら「精神状態を安定させる治療を行うべき」なんであって、そこに「自殺」って選択肢は入れちゃダメだろ。繋がらないだろ。そこは。繋げてもダメだろ。

http://blogos.com/article/92171/


自殺者には相当数、精神疾患を患った人が含まれているといわれているが、長谷川氏のこの論もおかしい。ぼくの理解では、「精神状態が不安定」というのは、自由意思による正常な判断そのものができない視野狭窄に陥っている状態のことだ。
引用部の前半のように、精神疾患の予防や治療、そしてそこからの自殺の流れをとめるべきだ、というだけならわかるが、うつ病を現に患っている人に向かって「自殺を選択肢にするな」と叫んでも意味がない。
長谷川氏がどうなのかはわからないが、恵まれたことにぼく自身はそうした病気にかかった経験はない。ないのだが、ないなりにそれぐらいの想像力はあっていいんじゃないだろうか。


うつ病だからといって自殺を選択肢に入れるな――それはまるで、うつ病だからといって仕事を休むな、と言っているのと同じである。

この頃は期待していたのだが…長谷川豊氏に関する記事