いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

有名人による「晒し」問題をめぐる不思議な空白

歌手のきゃりーぱみゅぱみゅが、自身のプライベートを無断で撮影したファンのアカウントをTwitter上で引用して、アカウントの削除に追い込んだことが、物議をかもしている。

きゃりーが“盗撮”され嘆く、断ったのに写真撮られ「悲しい」。 | Narinari.com

この撮影者のアカウントは別の投稿できゃりーぱみゅぱみゅに「塩対応」(いわば「そっけない扱い」)をされたと綴っている。その投稿と画像をセットで引用し、きゃりーぱみゅぱみゅは紹介している。
この投稿を閲覧した彼女の200万人超にもおよぶフォロワーと思われるユーザーによる批判で炎上し、撮影者のアカウントは既に削除されている。
これについて、今度は影響力を考えろという批判が、きゃりーぱみゅぱみゅ側に飛んだ。


ネット上で定期的に浮上するのが、この「影響力がある著名人による"晒し"行為問題」である。
膨大なフォロワーを抱え影響力が大きい人間は、一般人に言及するときにもっと気を使って発言をするべきだという声がある。
しかしその一方、影響力があろうがなかろうが(ここには「そもそも影響力って何よ問題」も付随する)、他人に嫌なことをされて嫌だと表明することの何が悪いのか、という反論がある。もともとネット上で完全にオープンにされていたものなのだから、「晒し」もなにもないだろう、という意見もある。


たしかに、撮らないでと言われたのに撮り、なおかつそれをネット上で公表するというのは著しくマナー違反である。それはわかる。
けれど一方で、きゃりーぱみゅぱみゅの側にも、こうした「引用」の仕方(繰り返すが「塩対応」云々の投稿と、隠し撮りした画像は元々は別々に投稿されているものなのである)をしてどうなるかくらいは分かるだろうに、という気がしないでもない。こういう書き方をしておいて、自分のフォロワーが相手をボコボコにしにいくだろうということが予見できなかったというならば、すこし白々しく思ってしまう。
先に書いたように撮影者のアカウントは削除されているが、検索をかけるとその人に対しては、真っ当な批判ばかりでなく容姿を中傷する投稿まで出てくる。


ところで、こうしたときぼくは、ある議論の「空白」といえるものが、気になってくる。それは、自ら批判しにいっている人々――ここでいうならばきゃりーぱみゅぱみゅの肩をもって相手を殴りにいっている人々についての議論だ。
多くのフォロワーが、きゃりーぱみゅぱみゅの投稿を見た上で撮影者に罵詈雑言を浴びせているのは、事実である。そういう点で、彼女が引き金を引いたとはいえる。
けれど、罵詈雑言を浴びせているのはやはり批判者らなのだ。彼ら彼女らも、自分で物事を判断できるはずの一人の人間のはずである。
「著名人の影響力問題」になったとき、殊にこうして炎上に加担する批判者たちそのもの判断については、顧みられない。批判されるようなことをする側が悪いのか、はたまた晒した側が悪いかという議論から、彼ら彼女らは蚊帳の外になるのだ。


これは、ネット炎上全般にいえる問題だ。
ネット炎上の滑稽さを端的に言い表した5コママンガを、ここで紹介しよう。

出典はイラストレーターのあきまん氏のtwitpic


ネット炎上の多くは、このようにほとんど同じ批判を、人々が列になって次から次へと対象にぶつけていく"行事"である。中には、全く関係ない誹謗中傷も混じっている。
炎上に参加している側にもきっと、いろんな思惑があるだろう。中には、W杯日本戦があった昨日の渋谷のように、ただ祭りに参加したいだけという輩も混じっているだろう。そうした輩は、見紛うことなく非がある人物(叩いても反論してこなさそうな人物)を見つけたら、問答無用で突っかかっていくものなのだ。そういう人には、もう何を言ってもムダだ。
けれどその中に少しでも、「批判対象は批判されるべきだ」「間違ったことを正してよりよき世界を作りたい」という真摯な気持ちから炎上に参加している人がいたとしたら。その人にはこういいたい。
あなたが相手に言ったことは、きっとすでに無数に言われており、あなたが言ったところで何も世界は変わらない、と。


ありふれた批判の無意味な堆積、それがネット炎上の正体なのだから。