いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

SNSを扱った映画「ディス/コネクト」の物足りなさから、朝井リョウ「何者」の凄さをしつこく振り返ってみる

ネット上で起きているコミュニケーションに気を取られるあまり、目の前にいる相手との関係を悪化させる経験は、今や誰しもが一度は経験したことがあるだろう。
本作『ディス/コネクト』は、目の前の近くて遠い知人ではなく、ネット上の匿名の他者に救いを求めてしまう人々の悲哀を描く、群像劇。


SNSのある世界に基づくフィクションは、映画にしろ小説にしろ、すでにたくさんあるが、個人的には朝井リョウの直木賞受賞作『何者』 を超える作品に出会えておらず、今作にもそれを期待して映画館に駆けつけたのだが、やはり叶わなかった。

何者

何者

「映画評」として失格なのかもしれないが、これから述べるのは「物足りなかった『ディス/コネクト』を通していかに『何者』が衝撃的な作品だったか」ということである。


映画は、アダルト動画配信で性的な行為を視聴者に見せてお金を稼ぐ若者、ある出来事をきっかけに心の距離が生まれ始めている夫婦、音楽だけが友達の少年とその同級生2人、の3つの物語を、同時並行的に語っていく。
テイストでいうと、ポール・ハギスの『クラッシュ』に近く(クライマックスでのスローモーションでの同期などは特に)、この3つは所々で交差するのだ。
如何せん、その交差に示唆に富む何かがあるわけでない。それで生まれる相乗効果が、あまりないのだ。


けれど、それよりもぼくが残念だったのは、この映画におけるSNS論の浅さである。
この映画が扱うは、フィッシング詐欺による情報の抜き取り、SNSでのなりすましや晒し行為、未成年による違法なエロチャットなどだ。つい最近にも、こういう騒動Twitterで回ってきた。たしかにそれらは恐るべき問題であることに変わりはない。


けれど、そんなことは今や誰でもわかることだ。大多数の観客にとってそれらは「自分はいまだ犯していない未遂の行為」であり、「あー、怖い。これだからネットは(ry。これからも注意しましょーね」で終わる話で、それでは心の奥底にまでは刺さらない。


それに対して、凡百のネットおよびSNSをテーマにした作品と『何者』がちがうのは、それがわれわれ多くの読者の「既遂の行為」を告発しているからである。

作品の感興を削ぐのでこれ以上語れないが、その行為は『ディス/コネクト』で描かれるような犯罪ではない。それはネットを利用する多くの人が、もしかしたら犯しているとさえ気づかず犯している「罪ならざる罪」であり、だからこそこれまであまり批判されてこなかった行為だ。
主人公の目線から青春小説ともいえる内容(就活生が主人公)に浸っていた読者は、作品のクライマックスにして、自分自身のその脆い部分をもろに指さされ、悲鳴をあげるほどドキリとさせられるのだ。私が告発されていたのか、と。


『ディス/コネクト』も失点の少ない「そこそこいい作品」だ。けれどそこまで身につまされないのは、そのせいだろう。所詮「『私』が告発されるSNS映画」ではないのだ。

自分で書いていてまた読みなおしたくなったが、『何者』も出版からしばらく立っているからそろそろ映画化とか話が登ってきそうだ(なにしろ直木賞受賞作だ)。どうだろう、ファンとして観たいような、観たくないような。