いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】明日、君がいない


明日、君がいない [DVD]

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高校の校内で、午後2時37分に生徒が自殺した。なぜ自殺したのか。そして彼(女)は誰だったのか。映画は、さまざまな悩みを抱えた6人の生徒のインタビューを交えながら、予め用意された結末(=自殺)へと向かって収束していく。

脚本、構成と、当時19歳の監督が撮ったとは思えない完成度があり、まずそこに驚愕する。見て損はない映画であることは請け合いで、その「結末」には多くの人がショックを受けることだろう。
見た後、学園映画の名作『桐島、部活やめるってよ』を、というか、あの映画についての某後輩の感想を思い出した。
あの映画について述べるとき、誰もが「自分には作中のどの役割が割り振られるか?」という事で盛り上がるのだが、「あの映画に自分は映っていない」というのだ。
桐島や宏樹のような上位カースト層ではもちろんなければ、前田ら映画部の面々やブラスバンド部の沢島のようにイケてないグループとして悪目立ちもしない。映画に「出てこない」モブキャラですらないだろうというのだ。今風のいいかたをすれば、「キョロ充」あたりになるだろうか。
それに、なるほどと思ったことを今作を観て思い出した。


閑話休題、この結末に「やられた」「後ろめたさ」と思いながらも、どこかケチをつけたくなる気持ちが湧いてくるのは、もうじき29歳になる男がすることにしては大人気ないだろうか。
多くの観客は、あの結末にある種の「やましさ」を覚えるのではないかと思う。それは、したり顔で「犯人=自殺者」予想をしていたはずなのに、彼(女)を見過ごしてしまったこと、彼女のSOSに気づいてあげられなかったことに対して抱く感情なのだ。


けれど、どうだろう。それって「視点」の問題に過ぎないのではないのか、とも思うのである。たとえば、自分が彼らと同じ学校に通う生徒だとしたら、彼(女)の自殺にやましさを覚えるのも無理からぬことだろう。けれど、これは映画で、映画の切り取ったフレームを通してしか彼らの世界は見えない。そんな不利な状況で、その「やましさ」「後ろめたさ」を植え付けられるのは、どこか不当な気がしてくるのだ。
と、いう具合に「やられた」「後ろめたさ」を不覚にも抱かされてしまったことに不平を言う身でいうのも何だが、一見の価値ある作品である。