いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

男2人女1人と男1人女2人 どちらが生きやすい?

女が紅一点を望む消極的な理由

たとえば無人島に3人で取り残されるとして、男2人女1人、もしくは男1人女2人の組み合わせだったら、どちらの状況が望ましいだろうか。

ぼくの予想では、コンプレックスの強い女性ほど、前者の状況を望む人の方が多いのでないかと思う。
それは、男性2人にちやほやされたいという積極的な理由でなく、同性と自分を女性として男性に比べられたくないからという消極的な理由においてだ。

女が味わう「毎日がミスコン」という重圧

このあいだ、ある女性に「女は毎日がミスコンだ」と言われた。女が2人以上集まり、さらにそこに異性の目が加われば、自分が舞台に立った覚えはなくても、必然的に女性として比べられる苦痛を味わわされるからだという。

先日読んだ湊かなえ『白雪姫殺人事件』も途中まではまさにそうした話で、たまたま同期入社だった三木典子と城野美姫という2人の女性社員の関係を軸に、ストーリーは展開する。

典子がスタイルがよく絶世の美女であるのに対し、美姫はブスとまではいわないがイマイチぱっとしない女性だ。2人は同期の女性というただそれだけの共通点から社内で比較され、典子が強くまばゆいスポットライトを浴びれば浴びるほど、美姫は濃い影の中に佇むことを強いられ、またそのことを周囲には憐れまれている。
ストーリーの核心に迫るにつれ、2人の関係にはもう一ひねりあることがわかるが、現実には、小説の前半で描かれるような典子―美姫の関係はあるというのだ。

“男1人女2人”が嫌われるのは男性のせい

男1人女複数のシチュエーションを敬遠する女性は、なにも同性が複数集まることを嫌がっているのではない。複数の女性がいるところに男性がいることが問題なのだ。複数の女性の中で、故意なのか無意識なのかはともかく、男が女性への振る舞い方に差をつけることに、その女性は何よりも傷つくのだそうだ。そのとき女性は、常日頃から正対することを何とか回避してきた自分の「女性性」と、最悪の形で再会することになる。

ちょっと待て、男性の側だってそうだよ、という意見もあるかもしれない。自分だって、異性に男性として比べられることは怖いというコンプレックスがある男性がいるかもしれない。
けれど、コンプレックスの強い男性はむしろ、異性の中で孤立するより同性と群れたいと思うのではないか。依然男性が「選ぶ側」、女性が「選ばれる側」というジェンダー非対称性の名残はあるのだ。

実は少ない男1人女2人編成のユニット


ぼくの観測範囲でも、男2人女1人のグループの方が活動しやすいのかな、という印象を受ける。2013年現在、J-POP界隈の男2人女1人といえば、ドリカムやマイラバいきものがかりなどがいるが、それに比べると男1人女2人の編成のグループはというと、現在も活動中なのはJITTERIN'JINNくらいだ。GO!GO!7188も解散してしまった。

長続きし、かつ成功した男1人女2人のユニットといえば、管見では日本テレビ系のかつての名物番組「DAISUKI!」くらいである。多くの人が知っているように、中山秀征、飯島直子、松本明子の男1人女2人のレギュラー陣によるこの番組。開始当初の半年間、男性陣レギュラーはヒデちゃんではなく吉村明宏風見しんごらだったが、約9年の大半は後任のヒデちゃんになってからであり、彼でなかったらあそこまで番組は続いていなかったかもしれない。
ぼくが思うに、男1人女2人の難しい編成を舵取りできたのは、かつて論じたようなヒデちゃんにディズニーリゾートばりのホスピタリティがあったからこそなのだ。

男に求められる“ミッキーのような存在”という作法

ミッキーマウスは美人のゲストもブスのゲストも平等に扱う。同じように、複数の女性とつるむとき女性と女性を女性として比べない。頭の中で比べてしまったとしても、それを振る舞いに出さず、平等に扱う。それが最低限、男の守るべき作法なのだと思う。