いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】"セフレ映画"の不可能性がかいま見れる映画「ステイ・フレンズ」


ロスでウェブディレクターとして充実した日々を送っていたディランのもとに、ニューヨークのヘッドハンター、ジェレミーからのオファーが届く。最初は気乗りしなかったディランだが、彼女の熱意にほだされNYの雑誌編集部への転職を決める。2人はその後も、あくまで「異性の友達」としてプライベートでも頻繁に遊んでいた。けれど2人っきりのある夜、ほんの出来心で、やるのは1度っきりでしたあとも友達でいる(stay friend)という約束でセックスを試みてみたことで、事態は急変し……。


我々人類にとって永遠の問いである「男女の友情は存在するか?」とは、肉体関係である異性は友達ではないという前提に立った上で投げかけられるものだ。セックスはするけど交際はしていないという関係、すなわち「セフレ」は、そうしたグレーゾーンのやましい関係なのだ、と一般的にはされている。

本作の原題「Friends with Benefits」は、以前書評で触れたように、日本でいうところの「セックスフレンド」を指す。なるほどたしかにbenefit=性欲の発散だけを目的とする関係ならば、言い得て妙である。
しかし、本当にそれだけだろうか?
「セックスをする友達」ではなく、「セックス"も"する友達」というのは、はたして本当に存在し得ないのか?
本作「ステイ・フレンズ」は、定番なラブコメの筋書きにのっとりながらも、そうしたイレギュラーな関係の存在可能性を模索する映画ともいえる。


「1回だけ」と約束して1回で終わるはずもなく、ディランとジェレミーはその後を関係をズルズル続けていく。途中離れたりつきあったりして、このあたりラブコメとして既視感ありありなのだけれど、なにせ出ているのが今を時めくジャスティン・ティンバーレイクミラ・クニスである。この2人の相性が本当にいい。2人のどちらかというのではなく、2人が一緒に冗談を言い合ったり茶化しあったりするさまが、本当に様になるし魅力的。在りし日の月9とは、まさにこんな感じだったのだろうと遠い目になるのである。


観終わって感じたのは、セフレという関係そのものがどうこうというより、「ラブコメ映画」というジャンルの形式上、セフレという関係をそのまま肯定するということがなかなか困難だ、ということ。
この映画がとりえたはずの最大の失敗は、2人が正式に「恋人になる」という結末である。映画はかろうじてそれを回避しているが、引き換えに用意されたのはなんともモヤモヤする、玉虫色の結末だ。

ジェレミーは"白馬の王子様"を望んでおり、またディランは認知症の父親から「運命の人を手に入れるチャンスを逃すな」と諭されたのをきっかけに、彼女の元にもどるのである。けれど2人は結ばれたわけでなく、セックスもする「親友」として幕を引くというのは、どこか腑に落ちない気がしてくる。


これは、ラブコメというジャンルの構造上の問題だろう。
一生を添い遂げる伴侶でなければ、切ない別れを受け入れて一歩踏み出すでもない。そんな「宙づりの異性関係」は、通常よろしいものとは受け止められないし、ストーリーの最後に似つかわしくない。
言い換えればそれは、セックスと愛ではなく、セックスと友情を接続する「異性関係の描き方」を、人類がまだ獲得していないということなのかもしれない。