いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】すべての男子に観てもらいたいオナニー(に関する)映画――JGL監督作「ドン・ジョン」

男ジョン(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は夜の帝王。毎夜のごとくクラブに繰り出し、イカしたナオン(古い)をロックオンしたら逃さない。濃密な腰フリと濃厚のキスでメロメロにし、一夜限りのベッドに連れ込む。
パンツをはく暇もないような彼だが、性に関する悩みがないわけではない。どんないいナオン(古い)と肌を重ねても、ネット動画を前にしてシコシコはげむオナニーの快楽には、到底およばないのだ。そんな彼の前に、今までお目にかかったことないようないいナオン(古い)、バーバラ(スカーレット・ヨハンソン)が現れたところから、彼の生活に変化が訪れ……。


ジョセフ・ゴードンによる満を持しての監督作は、自己の優男的なパブリックイメージを、そのパンプアップした胸筋で吹き飛ばすようなマッチョ野郎のラブコメディ。このジョンという男は、清々しいほどに女性差別的。コミカルなまでにルーティーン化(日曜日の教会での懺悔、ジム通い、クラブで女アサリ……)された彼の生活スタイルは、女と人間的な交流をする意志はない、女は性のはけ口だという彼の意志の象徴的な現れだろう。

そのように、JGLが自己イメージの改変も辞さない覚悟で撮ったのは、オナニー映画である。自己満な映画への蔑称「オナニー映画」のことではない。本作は、われわれにとって常に、すでに大問題である「オナニー」について本気出して考えた映画なのだ。


どんなにいい女とセックスしても、ネットの小窓でピコピコ動く男女の営みを観ながらシコシコするアレに勝てないこの不条理。それはわれわれの永遠の課題だ。
だからこそ、ネットでのエロ動画漁りには、男のロマンがある。自分のタイプの女優による理想的なシチュエーション、理想的な体位による理想のアングルの動画を見つけたときの達成感、大勝利感は、この上ない。本作では「エロ動画を漁る男の顔」をディスプレイ側から映すシーンが幾度となくあるが、自分もああいう表情をしているのかと思うと、ちょっと恥ずかしいものがある。


そんな男のロマンを、不埒だとなじる女も中にはいる。
私という彼女がいながら、なんでそんな不潔なものをみるの! ヘンタイ! ケダモノ! と。


けれど、そんな女達にわれわれは自由が丘のスイーツ女子なみの反論を企てたい。ちがうの! セックスとオナニーは別腹なの!!


そんな我々と、その代表ジョンの前に現れるのが、くたびれた中年ジュリアン・ムーア女史。どこか陰のあるその背景は後に明かされるが、かつて『ブギーナイツ』でポルノ女優を演じた彼女に「しょうもないポルノ観てんじゃないわよ(笑)」となじられるのは、感慨深い。


最終的な解決法は、いただけない。観たら分かるが、結局それ、アダム徳永のスローセックスですやん!
愛のあるセックス。心まで満たされるセックスがこの世界にあることは、認めよう。けれど愛のあるセックスがあれば、われわれにFC2ないしXVIDEOは必要ではないのか? いやそんなことはないだろう。
そのように、最終的なオチのつけかたには詰めの甘さを感じたが、基本的には爆笑と苦笑と失笑の連続。大好きな映画である。