いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「バカ映画」に「バカ映画www」と書き込み悦に浸る愚

そういえば最近、映画『マチェーテ・キルズ』を観て。


観劇後にネットで感想を漁ると「バカ映画www」といった書き込みが、散見される。
映画にどのような感想をもち、書き込むかは人の勝手でそのことは百も承知なのだが、中でも「バカ映画www」的な書き込むには、なぜか引っかかるものがあるのだ。
「バカ映画www」という書き込みは、複数の層の意味が折り重なっている。
映画の内容としてはチープでナンセンスで、もしかして荒唐無稽な場合もあるというのが「バカ映画」の部分に込められた意味である。一般的には愚劣で低俗であるとの評価が下ることを知っている素振りを見せつつ、「www」をつける。そうすることで、映画としてはクズだと冷静に判断しながらも、それでもおれは評価する、それでもおれは嫌いでないぞ、という寛容なふるまいを表明することになる。


当初はそうした評し方、佇まいに新鮮さを感じたが、今では食傷気味なぐらい、ありふれたモノになってしまった。
それに、無意識にやっているならまだしも、「バカ映画www」的な書き込みは、ある界隈に対する忠誠心の発露である場合も少なくない。おれはこの映画わかります、だから仲間に入れてくださいと、尻尾を振っている合図の場合もあるのだ。


またこの映画に関していえば、作った側は明らかに「バカ映画」と揶揄されることを見越し、ある種確信犯的に作っている。過去のこの監督の作品の傾向性、前作のテイストからして、それは明らかだろう。「金をかけてバカ映画を作る」というコンセプトなのである。
それが問題なのではない。問題は「バカ映画と言われることを見越して作った作品」を、エラそうに「バカ映画www」と揶揄することの愚の方である。
そんな反応は作り手からしたらマーケティングどおりであり、そんな作品に対して「バカ映画」という書き込みが溢れている時点で、それは、全くの安全圏から投げかけられている言葉にすぎないのだ。みなに承認されるバカなんて、そんなのバカでもなんでもないではないか。


マーケティングどおりで何が悪い、という話だが、ではそういう人たちがかなりの確率で本気で「バカ」にする、いわゆる「泣ける邦画」の類はどうだろう。

ああいう映画は「泣ける映画です」との売り文句に観客が劇場にかけつけ、宣伝どおり泣いて帰るのである。
そうした映画をバカにする人々が、「バカ映画です」の売り文句に鑑賞し、「バカ映画www」と書き込むのは、そう変わらない。
「泣ける映画」を観て泣く人も、「バカ映画」を観て「バカ映画www」と書き込む人にも、優劣はない。そこにあるのは、種類の違いだけなのである。