いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「口約束」で始まってしまう恋愛という制度のスゴさ

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けさTwitterで流れてきたこのニュースにギョッとした。

若い世代の人に積極的に恋愛をしてもらい、将来的に少子化を食い止めようと、千葉県流山市は恋愛中であることを証明する文書の届け出を期間限定で受け付ける取り組みを始めました。

この文書は「恋届(こいとどけ)」と名付けられ、自分の名前と恋人または恋人になってほしい人の名前、それに出会った場所や日時を記入して市に届け出ます。
法的な効力はありませんが、恋愛中であることを証明し記念にしてもらうことで、若い世代の人たちの恋愛を後押ししようと、流山市が先月から受け付けを始めました。
(…)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140310/k10015846381000.html


おぉ、なんかすげぇな、どうした流山? と思ったが、市の当該のページへ行くとずっとまともにみえる。

恋届

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どうやら、恋愛映画のロケ地になったことを記念した企画で、映画のプロモーションの一環なのかもしれない。
これを映画のえの字もないような伝え方をするものだから、冒頭の記事を読んだ際は「人口減で血迷った地方自治体」という印象を受け取ってしまった。これはNHKの伝え方が悪い。
これ、もしも片思いの届けと別の片思いの届けの相手がピッタリ一致して、両思いだとわかっても、市の職員は微笑ましく眺めるだけなのだろうか。なんとか、仲を取り持ってあげればいいのに。


この「恋届」はいわば、「恋愛は法的に拘束されない自由なもの」という大前提にのっとったジョークである。
けれど、本当にそうか?恋愛は本当に制度でないのだろうか?


街行くカップルが、手をつないだりキスしたり、セックスしたりする根拠は、いわば「口約束」に過ぎない。ある日とつぜん「あなたとはもう付き合わない」とどちらが切れば、それで終了なのである。それをした側へのペナルティもなければ、された側への賠償もない。法的には何の根拠もないのだから。
けれど、その「口約束」が効力を発し、個人を拘束し、カップルらしいカップルを演じさせる。

むしろ、法的拘束力のある婚姻関係や、あるいは結婚を前提とする交際の方が、ずっとわかりやすい。
それが一切にないはずの恋愛が、恋愛としてなりたつのは、その当事者2人があたかも「制度」があるかのように振る舞うからだ。吉本隆明はそこに、2者間のみが信じる対幻想をみたが、その幻想は制度的な何かなのだと思う。
中でも"ポピュラー"な「制度」の一つが、「浮気をしてはならない」という「戒律」だろう。浮気の定義は、手をつなぐことから体を交えることまで十人十色だが、とりあえず恋人以外の相手と恋愛に発展することに、我々は強い抵抗感を覚える。しかし、それは良心の呵責に過ぎないのだ。


街で幸せそうなカップルを見るたびぼくは、「口約束」というひどく脆弱な根拠の上で、それでもあっけらかんと営まれてしまう恋愛一般を、ただただ不思議だなぁと思う訳である。