いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】生徒より教師の反応に絶望感が募る鈴木翔「教室内カースト」

教室内(スクール)カースト (光文社新書)

教室内(スクール)カースト (光文社新書)

近年、徐々に普及し定着しつつある「スクールカースト」という概念について、中学生へのアンケート調査や、実際に学校でのカースト構造を体験した若者、間近でみていた教師らへのインタビューからひもとく新書。
前半は、スクールカーストを知らない読者をも射程に入れてその概念を説明し、実際にスクールカーストを体験中の当事者やアンケートから、小学校、中学校、高校と世代別にスクールカーストの「実態」をあぶり出そうとしている。


前半も、スクールカーストの詳しい“生態系”が語られ面白いが、この本で一番興味深く、かつ当事者からすれば絶望感が募るだろう箇所は、教師の描写である。
教師の側への聞き取り調査でわかるのは、「生徒と同じように、学校生活のさまざまな場面から、生徒のあいだに『地位の差』があることを把握しているということ」(p.225)である。
しかも、彼らはその生徒間の「地位の差」を肯定的に受け入れている。生徒間で地位が低い生徒は、教師からも対人関係能力に欠如し、また就職活動でも上手くいかず将来を不安視されているのだそうだ。


しかしである。教師側がスクールカーストを肯定してどうする、という考え方もある。「地位の差」が教室内にあるなら、教師はその是正に乗り出すべきでは? とぼくのような秩序外のノンキな読者は思うのだけれど、話はそう簡単ではない。
なぜなら、彼らは学級を円滑に運営して行くことが使命だからだ。そのため「教師は、スムーズな学校経営を行うために、『スクールカースト』の把握を重要視しており、また、それを利用した学級経営の戦略をとりうる」(p.255)ことがあるという。「地位の差」の下位に位置づけられることが、成長につながると考えている教師も、本書には登場する。
結果的に、彼ら教師はカースト是正に動くどころか、カースト上位層と親和的になり、取り込まれていく、というのである。


また是正といっても、ではいったい何をすればいいのか、という話である。序盤の方で著者も触れているが、スクールカーストは蹴ったり殴ったりする「暴力系のいじめ」ではなく、シカトや噂話の形を取る「コミュニケーション操作系のいじめ」に近い。暴力のように、わかりやすく注意しやすい形を取らない。いわばそれは人と人との接し方に潜んだものなのである。


ただ、そうした教師のカーストの上位層と下位層への振る舞いの違いを、生徒の側もとっくの昔に気付いている、ということも追記しなければならない。生徒らのスクールカーストを教師らが把握し、そのスクールカーストに注視しながら行動していることを、生徒の側もまた察知しているのだ。
中には、生徒を動かす「権利」をもたない教師に、仲良くされた(カースト上位の)生徒がその「権利」を"お裾分け"してやっている、という証言も出てくる。「ダメな先生ほど、スカウター(を)つけて教室(の中の生徒を)見ているのがすごくよくわかる」(p.225)という証言が印象的だ。
ここでいう「ダメな先生」というのは、本文中では触れられていないが、おそらくは学生時代に自分がスクールカーストの下位にいた人たちなんじゃないかと、ぼくは推測する。
スクールカーストでの振る舞いは、よほどの「確変」が起きない限り、年をとっても治らない。学生時代にくすぶっていた人が、たとえ教師という地位を得ても、現役のスクールカースト上位層に弄ばれてしまうのは、悲しいかな容易に想像できてしまう。


聞き取り調査も生徒、教師あわせて十人程度だし、お世辞にも十分な調査とはいえない。クオリティは、雑誌の長文記事と研究論文の間くらいだろう。筆者自身もそれは「パイロットスタディ」だと認めている。筆者の在籍する大学院の(師匠?)本田由紀による解説も、どこか本文へのエクスキューズに感じる。

ただ、近年クローズアップされていた反面、専門書が少なかったのは、この「スクールカースト」という現象自体の「捉えがたさ」に原因があると思われる。人と人との関係性のあり方など無限に等しいわけで、それをすべて論題に挙げるのはどだい無理な話なのだ。
それだけに、本書の登場はこの分野にとって意義深く、ある程度は評価されてよいだろう。