いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

微笑みながらも手は差し出さない、三砂ちづるの不思議なテキスト

育児に悩むワーキングママの相談に、『オニババ化する女たち』で知られる三砂ちづるさんが寄せた回答が、話題になっている。
「子供が可愛くないと心底思います」回答「あなたはすごくよくやっています。可愛いと思わなくて結構です」<かけこみ人生相談>三砂ちづる - 幻冬舎plus
まずはこちらをご一読。


なんとも不思議で、アンビバレントな文章だと思う。
三砂さんは全編にわたり、辛いと思いながらも育児に取り組む相談者をほめたたえている。たとえ本心では仕事にもっと出たいと思っていても、実は「子供が可愛くないと心底思」っていても、相談者が育児を放棄しないというただ一点において、全肯定する。相談者本人については、ほとんど否定的なふれ方はしていない。


ただその一方で、「生まれた子どもは母親が大好きで母親が頼り。母親を求め続ける。ひとりの人間にとってそんなにかけがえのない、そんなに必要とする存在は、もう絶対にないというくらい、子どもは親を求めます。親から『可愛くない』などと言われたら、子どもは生涯残る傷を受け」るとも、やんわりと釘を刺している。
「子供が可愛くないと心底思」ってしまってもいいが、子ども本人にはおろか、周囲の人間にもその負の感情は悟られてはならない、というのだ。


ではその負の感情を、どうすればいいのだろう。三砂氏は「つらくなったら、こういう匿名相談にでもメールしてみたらいい」とガス抜きを勧める。
つまり、こうして悩み相談で弱音を吐くことそのものを、正しいことなのだと三砂氏は肯定するのだ。


そう、この記事は相談者を肯定すると同時に、相談者の現状をも肯定している。そこに、こうした弱音を吐かなくてもいいようにするための「解決策」は見いだせない。
しかし、そうした現状肯定そのものが、相談者にとって重荷になるのではないか、という考え方もできる。とくに、追い打ちをかける可能性があるのがつぎの一文。

周囲にも愚痴らず、子どもにもそのような気持ちを微塵も感じさせず、黙々と母親業をやっておられればよい。そのようなあなたのひっそりとした「我慢と努力」は、あと20年もたてば、あたたかな光のようなあなたの魅力となって、周囲の人からの敬意を、そして子どもからの愛情を、あなたに獲得させてくれます。

先の長い話である。その「20年」を、相談者は首を長くして待てというのか。


この記事については、「泣けた」などと賛同する人もいれば、批判の声も届いている。例えば、鋭いと思ったのはこれ。

たしかに三砂さんの文章には、相談者が冒頭の方で触れている夫の子育てへの非協力的な姿勢への視点が抜けていて、ほとんど動かしがたい状況としてとらえられている。先に「現状肯定」と指摘したように、この文章にはそういった実践的なアドバイスは、ほとんどなにもない。


ただ、だからといって、この文章を現状を追認するだけの益のないものだと即断することもできなくて。
これはあくまで、状況的なものだとぼくは考える。
客観的な視点で見ると正しいことをいっているようにみえても、個別案件については上手く機能しない言説というのは、少なくない。
テキスト上の人生相談で、現実を変える実践的なアドバイスがいったいどこまで有効なのか、という気もする。限られた文字数で「現実」そのものを替えることが困難なのは容易に想像がつく。


一方で、「読み手(この場合は相談者)に与える即効性のある影響」を考えたとき、子育てに苦しむ相談者をひたすら肯定し、アゲようとするこの文章も、実はわりかし有効性があるのではないか、とも思うわけである。
二人称で語られるこの文章が、もしかしたらこの相談者の心になんらかの「解」として届く可能性もなきにしもあらず。最悪、当事者以外には間違っているように思えても、当事者本人がその言葉で一時的にも救われたなら、それでいいような気もする。

だがそれは、もはや論理によって問題を解決する営みからは程遠く、「マッサージ」の方がよっぽど近いものがあるかもしれない。


あなたはこの文章をどう受けとる?