いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

Twitterは委託してまでやるものなのか?

千葉ロッテの選手による舌禍ならぬTweet禍問題が依然くすぶっていて、昨日ついに本人とそのTwitterアカウントの管理人という男性が謝罪会見を行った。
千葉ロッテ神戸選手の不適切ツイート、「Twitter管理人が無断で投稿」と球団 - ITmedia NEWS
会見で、問題となった投稿が管理人が本人に内容を報告せずに独断で書き込んだもので、本人も知らなかったと明かされた。


この話を鵜呑みにするのもあれだが、とりあえず彼らが言っている通りだとしよう。
それでも、Twitterの常用者、あるいは常習者、あるいは中毒者からしたら、このTwitterを人に任せるという感覚が理解しにくいものなんじゃないかと思う。
ブログの代行ならまだわかる。現に、ブログは事務連絡程度の更新で、実際はマネージャーや関係者が代筆しているようにみえる有名人のものもある。


しかし、やはりTwitterはブログとそこがちがうと思うのである。これはあくまで印象論でしかないが、Twitterはブログより書き手に近く、より素が出やすい側面がある。突発的にチャット的にやり取りが始まるところからも、ブログより"肉声"的な感覚が強い。それが炎上の因子、いわゆる"火種"になっているわけで、いいか悪いかはさておき、そういうものなのである。


こうしたTwitterを代行でつぶやかれるというのは、どういう感覚なのか。されかけたことがあるからこそわかるが、自分の署名入りで自分の意に添わない発言をされるというのは、他に例をみない独特の不快感を催すものだ。まぁ、これは中毒者ならではの感覚で、始めて間のない人には共有されえない感覚なのかもしれない。


また、この管理人の言い分もよくわからない。
Twitterアカウント開設と運営の動機について、「彼の書いていたブログが普通のアスリートの方が書くものと一線を画すものだった」として、彼を広報するためにやったとしている。たしかに神戸のブログについては、アスリートによくある改行多めの日記レベルの内容を大きく逸脱し、神戸自ら調べたことに基づく長文が一部で話題になっていた。しかし、彼の文才を買っているならなおさら、彼自身が運営するべきなんじゃないのかと思うのである。


そもそも、「ツイッターは正直手が回ら」ないくらいなら、最初からやらなければいいのである。
もしそこに、ブログやらなければいけない、Twitterやらなければいけないみたいな強迫観念があるとしたら、それはやはり不気味だと思う。