いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ヒロシを苦しめた「一発屋芸人」というスティグマ

ビジネスジャーナルでお笑い芸人のヒロシのインタビューがあり、これが興味深かった。
“一発屋”ヒロシが語る、ブーム終息後の芸人の苦しみと現実、8年ぶり単独ライブのワケ | ビジネスジャーナル
ヒロシです」のネタで一躍時の人となった彼だが、その後人気が低迷し、俗にいう「一発屋芸人」のカテゴリーに分類されているのが現状である。
そんな彼が、彼よりももっと先にブレークし、どん底を味わったあとに再ブレークして売れっ子となった有吉弘行を例にとり、「一発屋芸人」について興味深い分析をしている。
有吉の再ブレークした理由についてヒロシは、「有吉さんっておもしろいじゃないですか、もともと。別に急におもしろくなったわけではないはず」と断言する。
ではなぜそんな彼が長い不遇の時代を過ごしたのか。ヒロシはそこに、有吉本人ではどうにもできない、いわば「外圧」があったと指摘する。

初めに猿岩石でブレイクされた時は、ヒッチハイクの旅という企画モノでしたから、ご本人の持ち前のおもしろさが生かされたというわけではなかったのではないでしょうか。売れると、歌を出すなどアイドル寄りの活動をされてましたしね。

 そのあと人気に陰りが出て、仕事が減り、表舞台から遠ざかると、「あの人はいま」みたいな番組に取り上げられる。そうすると、僕もそうだからわかるんですけれど、そこでたとえおもしろいことを言ったりしたとしても、ぜんぶカットされちゃうんですよね。最高月収と最低月収だけがオンエアされて終わり。「ああ、やっぱり落ち目の芸人、おもしろくないのね」というオチ。
 だから、いくらおもしろい芸人さんでも、おもしろくない芸人さんとしてフィーチャーされちゃうわけです。そこを有吉さんがどう打破したのかはわからないけれど、彼の場合はおもしろいところがうまく認められたんでしょうね。でも相当難しいことですよ。

同上

彼の分析を咀嚼すると、必ずしも「一発屋芸人」はなるべくしてなるわけではない。彼らには、「流行が終わったつまらない芸人」という役回りを、無理やり演じさせられているという側面もあるということだ。
これは社会学でいう「スティグマ」=負の烙印の話である。一度それをおしつけられた存在は、その烙印どおり振る舞うことを社会から要求される。そして一度貼られたそれは、容易にははがすことができなくなる。

あとだしじゃんけんのようで悪いが、たしかに氷河期時代の有吉も「面白かった」とぼくは記憶している。内Pにて江頭2:50のようなジョーカー的存在としてたまに出ていたが、ほんとうに実力のないようには思えなかったのである。もうすこし話を聞きたい、けれどもどうも「打席数が少ない」というイメージがあった。それも、このスティグマの影響のような気がする。
このように、今をときめく有吉をもってしても一度ついたそのスティグマをとるまで、何年もの歳月を費やさなければならなかったのである。並の芸人がスティグマをはがすのにどれだけ苦労するかは、想像にかたくない。「一発屋芸人」と一度カテゴライズされた芸人らが、第一線に戻って来られないのは、実力とともに「一発屋芸人」という烙印の効力が強すぎるのだ。

そのスティグマが内面化すると、今度は自分もそれ通りに振舞ってしまうようになる。現に、今回ヒロシが単独ライブを開くまで8年ものブランクを作っているのも、「たとえライブで成功を収めても、テレビに出てなければ成功とは見なされないんでしょう」「どうせおもしろいことをやっても、つまらないと思われるんだろう、僕は一発屋だから」というネガティブな思いがあったと吐露している。社会が自分に期待しないように、自分も自分に期待できなくなっていってしまった。スティグマとは、過去だけでなく未来も規定してしまう。

もっとも、じゃあ「一発もない芸人」であった方がいいのか? まったく売れなくていいのか? という話ではある。ヒロシも「それ(ブームになったこと)はあってよかったです」と素直に答えている。ちなみに、売れていたころの蓄えがあり、現在は金銭的には不自由ないそうだ。しかし、「一発屋芸人」というスティグマを受け入れるまで、相当の時間はかかったとも答えている。


もちろん「一発屋芸人」と呼びはじめたのはテレビであってわれわれではない。けれど、テレビマンがそうするのは、われわれ視聴者の「欲望」を先回りしているからに他ならない。われわれ視聴者の側にも、ブームに乗って出てきたタレントが「一発屋」で終わることを、どこか積極的に期待しているふしもあると思う。

この「一発屋芸人」になってほしいという期待は、人の人生の二点だけを抽出して、その差額を楽しむ「あの人はいま」的な好奇心そのものに根があるんじゃないかと思う。
このインタビューを読み終わったとき後ろめたい気持ちがわいてきた。人柄からか言葉こそ強くなかったが、インタビュー全体からは、自分を「一発屋芸人」と名指ししたテレビと視聴者、そしてそれを覆せない自分への、諦念のようなものが漂っている。その諦念に、その後ろ暗い好奇心が指差されているような気がしたのだ。