いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「半沢直樹」になれない意識の高い(笑)就活生

マイナビが面白い記事を掲載していた。
東大生が振り返る、就活で「勝てない」意識の高い(笑)学生 | 仕事全般 | 内定・仕事 | フレッシャーズ マイナビ 学生の窓口

現役の東大生によると、学内には正真正銘の意識の高い学生と、見よう見まねで生まれた偽物の「意識の高い(笑)学生」がいるという。
彼らは前者のようにもともと社会問題に興味があり取り組んでいるのではなく、2年に進級してから就活に備えて急ごしらえで留学などをこなし、間に合わせるのだという。
タイトルにあるように「意識の高い(笑)学生」らは就活では上手くいかないのだそう。なぜかというと、彼らは【二度目の『なぜ』】に答えられないのだと、この学生は語る。

面接官に『なぜ学生団体を?』『なぜ留学を?』と問われると、『社会に貢献したいからです!』とか『自分を成長させたいからです!』と答えられるのですが、この後に続く【二度目の『なぜ』】には答えることができないのです。
『なぜ社会に貢献したいの?』『なぜ自分を成長させたいの?』
そもそも主体的に活動をしていない『意識の高い(笑)学生』に、この質問には、思ってもないようなでまかせか、どこかで聞いたようなテンプレート的な回答をするしかありません......。そこを人事の人には見ぬかれてしまうんでしょうね。

「社会貢献」だの聞こえのいいことばかり並べて取り繕っても、【二度目の『なぜ』】によってすぐに内発的な動機がないことが暴かれてしまうのだ。
それに対して、本物の意識の高い学生は違う。自己PR目的で活動していた学生とは段違いの、オリジナルの回答ができるのだという。彼らに共通するのは、「過去の経験に根差した『好き』や『嫌い』といった自分の強い感覚や欲求を、エネルギーの源泉として活動し結果を残しているという点」なのだそうだ。


東大生に限らず、同じようなことはどこの大学でもあるのだろう。
ここでいわれている就活に成功しているような学生というのは、たとえるなら「半沢直樹」みたいなものかもしれない。
池井戸潤の『オレたちバブル入行組』の主人公の半沢は、自分の勤める東京中央銀行(旧・産業中央銀行)を変えるため、頭取の座へと邁進する。

オレたちバブル入行組 (文春文庫)

オレたちバブル入行組 (文春文庫)


しかし彼をそう動かすのは、なにも正義感や社会貢献といった公明正大な動機ではない。実はかつて、彼の実家の工場の経営が傾いたときに、それまで取引していた産業中央銀行はしっぽを巻いて逃げていってしまったのである。小説ではなんとか難を逃れるが、現在放映中のドラマではもっと悲惨な事態を迎える。
半沢はそのとき裏切った当の銀行に就職し、銀行を変えてやると息巻く背景には、まぎれもなく、銀行への私怨が隠されている。


人が動くとき、その背景にあるのは必ずしも明るい気持ちばかりではない。女にモテたい、金持ちになりたいといった私利私欲の充足や、さらにはあいつを見返したい、復讐したいといった決してほめられたものでないことも多い。それらは誰かのためでなく、正真正銘自分自身のためだけの「我欲」である。
欲が制御不能になると「ダークサイド」(つまり半沢の敵役の側)に陥る恐れもあるが、我欲があるからこそ、その人の人間性に深みが生まれていることも確かなのである。


それに対して、【二度目の『なぜ』】に答えられない意識の高い(笑)学生は、たとえばアンパンマンのような子供向け番組の主人公みたいなものだ。
彼らが悪と戦うのは世界の平和を守るためである。そこにウソはないし、まったくもってケチのつけようがない立派な理由である。けれど、それと同時に薄っぺらであることも否めない。
相手が子どもならそれで魅了できるかもしれないが、いい年こいたオトナの心は動かせない。多くの場合、人間を本気にさせるのは「我欲」であるのを、彼らは身をもって知っているからだ。


計算高く我欲を隠し、うすっぺらな志望動機しか語れない「意識の高い(笑)学生」は、我欲をたぎらせて突き進む半沢のような学生には逆立ちしても勝てないのかもしれない。