いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ダークナイトのジョーカーはなぜ冒頭で銀行を襲うのか

クリストファー・ノーランの映画「ダークナイト」を見直してみて、冒頭の銀行強盗のシーンについて気づいたことがある。ジョーカーがここで銀行強盗をするのは、なるほどストーリー上の理由がなくはないけれど、もう一つ意味があるんじゃないだろうか。

まずは、どういうシーンだったかをおさらいしておこう。ジョーカー率いる強盗団が銀行を制圧し、ショットガンで抵抗した支店長(ウィリアム・フィクナーというやたら額が長い俳優)も、あえなく軍門に下る。

支店長は、ジョーカーが何のためらいもなく「仲間」を殺していくのを見て「昔の悪党は信じていた。名誉とか敬意ってものをな。今時の悪党はどうだ? 信念はあるか!」という具合に非難する。悪党には悪党なりの品性ってもんがあるだろーよ、と言いたいのだ。
これに対し、ジョーカーが支店長に近寄ってきたピエロのマスクを脱ぐ。するとそこには、マスクよりもっと奇怪な顔が――ヒース・レジャー版ジョカーの初登場シーンにして、最高にキマった名シーンである。


ここで支店長のいう名誉とか敬意ってものを信じていた「昔の悪党」というのは、具体的にはいったい誰なのか。これまではあまり深く考えなかったけど、最近それをふと思った。これってたぶん、ジョン・デリンジャーやボニー&クライドという「古きよきアメリカにいた犯罪者たち」のことなのだと思う。


ボニー&クライドについては『俺たちに明日はない』、ジョン・デリンジャーについては『パブリック・エネミーズ』を視てもらいたい。ボニー&クライドもデリンジャーも、組織的に銀行強盗を起こしていた。そして、彼らは極悪人であるが、同時に民衆から支持されていた側面もあった。支持されるのは、彼らが銀行強盗を企てる動機や、彼らの考え方が、まだ民衆の「理解できる範疇」に留まっていたからだろう。


でもジョーカーは違う。ジョーカーに来歴はない。出自不明の悪なのだ。

ジョーカーは、彼らとは決定的に何かが違う。そのことをよりいっそうはっきり、くっきりと示すための舞台として、銀行が選ばれたんじゃないだろうか。


そしてもう1点。こちらはかなりショボイのだけれど、この作品で1、2を争うトンデモ展開といえば、主人公のブルースが作り上げたというゴッサムシティ中の携帯電話をソナーの原理で監視していた、というアレである。
毎度のごとく良心のオッサン役モーガン・フリーマンは当然これをとがめ、これが終わったらわしゃ辞めてやると言う。これにバットマンブルース・ウェインは、街の平和の為に仕方ないんだ、と抗弁するのである。
この「平和のために監視はしかたない」というのは、今世界を騒がせている情報収集問題が暴露された米国の言い訳とまんま同じである。そう考えると、やっぱりアメコミのヒーロー=世界の中のアメリカという見立ては、なかなか鋭いものがあると感じるのである。