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85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】タモリ論/樋口毅宏 ★★☆☆☆

タモリ論 (新潮新書)

タモリ論 (新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
タモリの本当の“凄さ”って何だろう。なぜ三十年以上も毎日生放送の司会を超然と続けられるのか。サングラスの奥に隠された孤独や絶望とは―。デビュー作でその愛を告白した小説家が、秘蔵の「タモリうんちく」を駆使して、この男の狂気と神髄に迫る。出生や私生活にまつわる伝説、私的「笑っていいとも!」名場面、ビートたけし明石家さんまとの比較等、読めばあなたの“タモリ観”が一変する、革命的芸人論!

いわずと知れた笑いBIG3の一角であり、近年はたけし、さんま以上にプロアマ問わず批評家らの「語りたい欲」を募らせているのがタモリではないだろうか。
本書は気鋭の小説家で、そのデビュー作でタモリを「絶望大王」と評して話題となった著者による待望の「タモリ論」。


と、期待してペラペラとめくってみたが……読むべきところがあるのは「はじめに」の約20ページに集約され、著者個人の些末な思い出話と、いいとも!に関するトリビアルな知識と、いいとも!観覧記で構成される残り170ページは、大いなる蛇足と評するしかない。
タモリ論」というタイトルを訊いたときにワクワクするような読者が実際にワクワクするような要素は、どこにもないのである。
思うに、著者究極の「タモリ論」はやはりデビュー作でのそれに集約されているのであって、それ以降は出がらしにすぎない。その証拠に、論が続かなくなった中盤に約60ページほどたけしとさんまの話に寄り道し、タモリのタの字もでない状態になる。わかるぞ、わかる、この話のそれ方は、字数が埋まらなかったときの大学生のレポートのそれだ!!!
たしかに「いいとも!」についてのうんちくは舌を巻くものがあって、好事家の間ではおなじみの有吉佐和子の演説事件の真相や、「安産祈願」の発端については、この本に学ぶところはある。けれど、それらはトリビアルな知識は、たとえば「磯野家の謎」のような「謎本」を編纂する怪しげなうんたら研究会が本を出せばいいだけの話であって、自分の好きなものへの偏愛を結晶化させたような奇書『さらば雑司ヶ谷』の著者に期待されているような仕事ではないと思うのだ。
かと思えば、ちゃんと調べればわかりそうなところも、自分の記憶だけを頼りに語るところは、本気かと疑わざるを得ない。森田健作がレギュラーだったかどうかなど、調べればすぐわかるだろうに。


もっとも、この人のお笑いへの尊敬の念は、本当のものだと感じる。そしてその強い尊敬の念こそが、この本の足を引っ張られたのではないか、とも。
著者は「お笑い」が困難な仕事であることを痛感しているが故に「『俺はお笑いにうるさいよ』とばかり、エラそうに語っている人たちが、ぼくにはカッコ悪く見えて仕方がない」(p.17)という。このことに異議をはさむお笑いファンは少ないと思う。おそらく、本当にお笑いが好きな人は、お笑いなんか語りたくない。それが難しいことであって、しかも「サブいこと」であり、ある意味それがお笑いへの冒涜だと本能的に気づいているからだ。
お笑いを語りたい。でも語れない。お笑いファンはつねに、そのジレンマと闘っている。それでも意を決して語るとなるとその後ろめたさが災いしてか、つねに負けるのだ。ぼく自身、その「負け戦」に拙い言葉で挑み、なんどスベってきたことだろう。
そしてこの著者も、そのプレッシャーの前に敗れ去ったのではないか。


本書については、著者の友人の水道橋博士Twitterで感想をRTするなどして応援していたが、皮肉なことに、人物評伝を書かせたらこの著者よりも博士の方が1枚も2枚も上手だろう。いや、もしかしたら博士でさえタモリ論は困難なのかもしれない。というか、タモリの評論なんて誰がやっても「失敗作」になるに決まっているのだ。だからこそ「タモリ論」と銘打った本書には期待したのだが……。
こうなってしまったら、著者に残された道は一つしかない。タモリの小説、もしくはどう考えてもタモリだろという人物が登場する大傑作小説を書くことである。それでこそこの敗戦のリベンジはなし遂げられるのではないだろうか。