いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

【映画評】ハングオーバー!!! 最後の反省会 ★★★★☆


「二日酔い」をタイトルに持つコメディシリーズの第三作にして完結編。
アランの父の急死をきっかけに、いよいよ言動に抑制が効かなくなってきた彼を病院に入れようというアイデアが浮上する。嫌がる彼を車で連れて行くことになった「狼軍団」のダグ、フィル、ステュの三人だったが、病院のあるアリゾナへの道中で、四人は謎の覆面集団の襲撃に遭ってしまう。
前二作までは、記憶を失った所から自分たちにいったい何が起こったのかを巻き戻しするかのようにさかのぼっていくというスタイルを踏襲してきた。その一見ミステリーががかったスタイルを今作は排し、もっとシンプルな冒険活劇、かつコメディとなっている。エンドロールまで四人はシラフである。エンドロールまでは。

シリーズの因縁を回収していく今作

完結編にあたる本作の話の発端には、実は前二作までにさかのぼる因縁が関係している。また、最後の舞台に「あの都市」が選ばれたのもさもありなん。そうである、この大ヒットコメディはあの地に始まり、そして終わるのだ。前二作の断片がフラッシュバックする大団円には、さすがにジーンとくるものがあった。余裕がある人は復習しておいてもいいかもしれない。
もちろん、一見さんだろうが容赦しない過激なギャグの応酬は健在である。男のダチ三人によるバカバカしいやりとりというのは、どうしてこうもたまらないものなのだろう。

動物愛護団体との因縁にも決着

因縁といえば、この映画はスクリーンの外にももう一つやっかいな因縁を抱えている。トラの出てくる第一作、サルの出てくる第二作は動物愛護団体から激しい抗議を受けており、特に2において煙草を吸っていたサルがその後ニコチン中毒になったということで、それ自体ぼくには笑い話にしか思えないのだが、ある種の人たちがそれに怒り散らしているという。
というわけで、そうしたことが起きた後で制作された本作は、動物愛護団体からの抗議に凄まじい形での「応答」が試みられている。前作まで抗議していた人たちが、どんな顔をして本作を観るのかは非常に気になるところ。

アランとチャウの関係の真意とは?(ネタバレあり)

興味深かったのはアランとレスリー・チャウの関係だ。シリーズを観たことがない人からすれば、なんだこのちんちくりんなアジア人はという彼だが、もはやこのシリーズになくてはならないトリックスターとなっている。
ややネタバレになるが、アランは最終的にチャウと決別する。これは単なる人間関係の終わりなのではない。チャウと決別することは、アランにとって一つの成長といえる。言いかえれば、チャウとはアランの中に眠る「悪しき精神」の象徴だったのである。

そう思う根拠が一つある。
それは、チャウが場面に登場すると、それまであれだけハシャぎ、周囲を困惑させていたアランの存在感が一気に希薄になるのだ。それはもう顕著のごとくだ。単純にキャラがかぶっているところもあるし、もしかするとこの映画では描かれていない2と3の間で、チャウの性技によってアランが調教され骨抜きにされているのかもしれない。
しかし、説得的に考えるなら、その理由は一つしかない。それは、チャウがアランだからだ。
チャウはアランが抱える暴力や狂気といった「悪しき精神」の代理表象なのである。チャウが受け持つ危険な部分と、もっと優しいおちゃめなアランが受け持つ部分は、同時並行的には成立しない。だからこそ、チャウが出てくるとアランが大人しくなるのだ。他にも、劇中アランが意図せずに動物を殺してしまうのに対し、チャウは明確な殺意をもって殺す。ここには二人の共通点とともに、相違点が現れている。
そんなチャウに、アランはラストで後腐れのない別れを切り出す。彼と縁を切ったことそれすなわち、彼が真っ当な大人になる道を歩みだしたことを意味する。


とまぁこんな小難しい話は抜きにしても、この映画が今年観るべき作品の一つであることはいうまでもない。
エンドロールが始まってもスクリーンから目をそらさぬよう、ゆめゆめご注意されたい。