いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「日本語でしゃべれ」とNHKを訴えた男性

外来語の乱用で精神的な苦痛を受けたとして、71歳の男性がNHK名古屋地裁に提訴したという。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130627/trl13062710070000-n1.htm

このニュース、最初みたときは「お、モンスター視聴者物件か?」と思ったものですが、よくよく考えてみると、そこまで理不尽な訴えじゃないと思うんですよね。


たしかにここ数年、社会全体が「ルー語」化していっている。そこまで耳なじみのない外来語も、会話や会議でふつうに出回っている。数年前にルー大柴の再ブームがありましたが、本家を笑えない状態になってきています。


ぼく個人は、全く新しい言葉が出てきても、23回でなんとなく意味がつかめるという自信は持っているんです。覚えも早いですし。
でもそれって、実はまだ若いからにすぎないんですよね。年をとればとるほど、「新しいモノ」への感度が鈍くなっていくのは仕方ないもので。そんな老人にとっては「新しいモノ」というのは、いったいどうなるのかというと、「自分を阻害するモノ」になってしまうのです。
しかも、その「新しいモノ」が出てくる速さは加速度的に速くなってきている。「新しいモノ」がつもりつもっていって、気づけば自分のまわりは「自分を阻害するモノ」ばかりになっていた――そんな話も冗談でなくありえると思うんです。


じゃあテレビを視なければいいじゃないか、というのも殺生な話で。
70、80の体がいうことをきかなくなったあたりの老人が家ですることといったら、普通はこたつでテレビを眺めているぐらいですよ。
民放はもう老人を無視しているぐらいの有様ですが、公共放送のNHKにはまだ老人でも視聴に耐えうる番組があったはず。自分の子供や孫のほどの歳のアナウンサーの話す、美しく平明な日本語を、うんうんと聞いていることが、日常における唯一の楽しみだったという人も、中にはいるかもしれない。
そんな頼みの綱のNHKに、やれコンプライアンスだ、やれコンシェルジュだと、意味の分からない言語を話し出されることが苦痛だと感じる人がいるというのは、うなづける話だと思うんですよ。


慰謝料の請求額の141万円というのは、140万を超える額と民法で決まっているからなんだそうです。そういう意味では、この男性も決してお金目的で訴えたわけではないはず。訴訟の結果いかんに関わらず、こういう声があったことについてはNHKも反省するべきところかもしれません。

話し手がドヤるのが目的の外来語ではなく、真に聞き手に意味が伝わるような平明な美しい日本語があふれている――NHKにはそんな社会をオーガナイズしていってもらいたいものです。