いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

非モテの悲惨だった大学時代を救済する『建築学概論』 ★★★★☆

本国韓国で「初恋ブーム」を起こしたという大ヒット映画。もうそろそろ公開が終わるというときに観に行ってきました。
この仰々しいタイトルは、主人公とヒロインが出会うきっかけとなる大学の一般教養の講義名で、内容は少しも堅苦しくないのでご安心を。


内容を一言でいえば、もう恋愛映画の王道中の王道ですね。ラーメンにカレー、みたいな。
「あの時もし自分が勇気を出していえればあの娘と結ばれていたかもしれない…」というやつです。いってしまえば「ニュー・シネマ・パラダイス」なんですが、たぶんこのストーリー構造は恋愛作品と同じくらい長い歴史をもつ古典的な型なんでしょう。

映画は、建築士として働く現在の主人公と、彼に実家の建て替えを依頼してきたヒロイン・ソヨンの再会から始まる。二人の間にはのっぴきならない大学時代があったらしく、映画はその大学時代を紐解いて行きながら進むわけです。
同じ韓国映画として近年では「サニー」にも共通するところですが、この映画も現在と過去の行き来が非常にうまい。
何が上手いかというと、現在から過去、過去から現在への行き来に、それなりの論理があるんです。
また、所々で過去と現在が「対の関係」になっている。わかりやすいところでいうと、二人っきりでの待ち合わせと思いきや第三者がついてきたという待っている側にとっては激萎えな展開があるんですが、実はそれ、過去と未来でお互いがやらかしているんです。おそらくこれは意図的だったはず。


なにより、若い時代の主人公とヒロインを演じた二人、この二人の初々しさがたまりません。高校3年でも大学2年でもなく、「大学1年生感」がにじみ出ている。
とくにヒロインのソヨン、くっそかわいいです。missAというグループで活躍中のスジという女の子で、普段はもっと派手らしいんだけれど、この映画では彼女の「大学1年男子がひっかかりそうな地味さ」が爆発しています。
この二人が、「お前らさぁ、いい加減付き合えよ…」と観ていて呆れかえるくらいいい雰囲気になっても何もできないわけですが、そこでこちらがヤキモキすることそのものが、この手の映画を観るうえでの醍醐味なんでしょう。
また脇役ではありましたが、現在の主人公の婚約役者もいい味だしてました。たとえるなら「主人公の絶対的ライバル」的ポジション。この女が随所に見せるしたたかさは注意してみておいてほしいのですが、彼女の絶対にゆるぎそうにない「盤石さ」があったからこそ、主人公とヒロインがかなわぬ恋なのだという悲劇性が増しているのです。


映画では、実際に90年代に人気を博したフォークデュオ「展覧会」のヒットソング「記憶の習作」が重要な役割を占めている。この曲が、日本のとくに若い層の観客からしたら「うお」となるシロモノで、日本の90年代とはかけ離れている。いうならばムード歌謡みたいな曲なんですね。けど、たぶん韓国で90年代に大学時代を過ごした層は、この曲が流れてきたらズキュンとやられるのだろうなーと想像します。

韓国映画で純愛というと、ギトギトしたとんこつスープみたいなのを想像しがちですが、終わり方もわりとあっさりしてました。もう一展開ほしいなーと思わせる物足りなさは残るけれど、かえってその方がよかったのかも。逆に言うと、「サニー」なんかはサービス精神が旺盛すぎるきらいもある。
何がいいって、「オラ泣け!オラ泣け!」という煽りがないんです。それに比べると、今日予告でやっていた邦画の「100回泣くこと」なんかの方がよっぽど、観る側に泣くことを強要してそうな予感がする。


結局この映画って、大学時代に酷い恋愛をした非モテへの救済になっていると思うんですね。作り手の側の意図はともかく、結果的にそうなっている。大学時代には箸にも棒にもかからなかったけど、30代になって向こうの方から声かけてきたぜえええええええっていう。向こうだって気があったみたいなこといってるけど、そんなの真相はやぶの中ですからね。どちらにせよ、今の自分を相手の女性は追いかけてきたわけです。
こういう卑屈な考え方しかできないぼくにはきっと、ソヨンなどが現れることはないのでしょう。