いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「あなたがネトウヨにならなかった理由」が残念な理由

あなたがネトウヨにならなかった理由を教えて下さい。 - Togetter

ここに理由を挙げている人たちとぼくの考えはそう遠くないと思います。差別的な言動がよくないと思うことに、異議はないです。
でもこれはちょっとないかなーと思うツイートも散見するわけで。
反差別を掲げる人の差別を憎むときの口調が、差別主義者のそれと瓜二つになってくる、ということが往々にしてありまして。





中にはこんなコメントも。

「恋人が出来れば(ほとんどの人は)ネトウヨから卒業」 逆に言えばなにかしらの不満がある場合で文字情報のみで現状の考えが変わるのはよっぽどのことでして…

これって、フェミニストに向かって「ブスだからフェミやってんだろ」って言うのとほとんど同じ論法です。それが事実かどうかはともかく、そんな言いぐさ、今なら袋叩きにされますよね。「フェミニスト」が「ネトウヨ」に変換されるだけで、それほど問題にされることもなくスルーされている感がある。


まとめを制作した方の志は否定できないと思うんです。
けれど、このように「理由」を列挙することで、何か状況が良い方向に変わるのかというと、ぼくはそうは思えないんですね。
だってこれ、ただの「差異化ゲーム」だと思うんですよ。
これを読んだ差別主義者たち(そんな自負を持っている人は多くないと思います)が何を思うでしょうか。その姿勢をより頑なにし、差別の方法がより激しくなっていくことはあっても、「よし、今日から差別はやめだ!」となるとはあまり考えにくい。


すでに、「差別はよくない」という議論は次の段階へ進むべきだと思うんですよね。だって、「よくない」といっても差別する人はしてしまうんだもの。
現に差別する人はいると。問題は、差別とどう折り合いをつけるかじゃないでしょうか。
そのときに、今回のように自分が差別的な言動といかに距離を置いているかを語ることに、はたして意味があるのか。
それならば、自称ネトウヨから「ネトウヨになった理由」を集めた方がまだましだった。
「おれは差別する!するんだ!!うおおおおおおおお!!!!」という方々から理由を聞き、納得はできないまでもなるほどそういう考え方もあるのかと知るいい機会になったでしょう。
反差別主義を掲げるなら、自分たちの配置した差別/反差別という線引きそのものに、もっと自覚的になるべきなんじゃないでしょうか。


まとめを作った方は、「ネトウヨに対するワクチンみたいなものになればいいなあ」と書かれています。
けれど、このまとめに関して言えば、ネトウヨや中国や韓国という具体的な事象を超えて、もっと抽象的な人間の「差別心」みたいなものの抜けがたさを、かえって浮き彫りにしてしまったような気がして、非常に残念でした。