いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】死刑絶対肯定論/美達大和 ★★★★☆

死刑制度については、国際的な廃止の流れもあり日本でもにわかに議論になっている。

弁護士や学者をはじめとする多くの人が意見を述べているが、そんな中でも本書『死刑絶対肯定論』の著者の"肩書き"は特殊だ。
というのも、この人自身が二人の人間を殺害し、現在も服役している殺人犯だからだ。

死刑絶対肯定論―無期懲役囚の主張 (新潮新書)

死刑絶対肯定論―無期懲役囚の主張 (新潮新書)

本書を読むと、著者がもともと確固とした死刑肯定の立場にあったわけではなく、彼自身が殺人犯として刑務所に収監され、塀の中の様子を知ったがゆえに、「死刑肯定」という意見をもったといえる。まさに「経験に基づいた意見」だ。
タイトルが強烈なため、本文も激しい死刑肯定の主張が展開されるのでは想像してしまいがちだが、そうでもない(タイトルは編集者がつけたのかもしれない)。
本書は、著者が死刑肯定の結論に至ったプロセスをなぞるかのように、刑務所内部の生活、犯罪者の考え方などを紹介しながら、なぜ死刑を存続しなければならないかを、丁寧に、そして誠実に説いている。読んでいると、この人が殺人を犯したという事実が不思議になってくるぐらい、理知的な文章だ(ちなみに、著者が自分の犯行について書いた『人を殺すとはどういうことか』という著作もある)。


本書が死刑を肯定する理由の主幹は、いわゆる「行為と量刑の均等」だ。要するに、世の中には死刑を科すことでしか償えないような凶悪な犯罪もあるということだ。ここまではオーソドックスな死刑肯定論だろう。

本書の独自性はここからだ。著者が何にもまして重要視するのは、「反省」だ。取り返しのつかない罪を犯した人間が、真の意味で反省し、罪を悔い改めること。それこそが唯一残された、加害者自身の救われる道なのだと著者は考える。
ところが、本書で再三再四語られるのは、ほとんどの凶悪犯罪者は長期刑に服したとしても反省しないということなのだ。

 一度殺人を犯し、無反省な者には、人を殺すという行為に抵抗はありません。彼らの中には、すでに出所後の犯行計画を企図し仲間を募っている者、メディア等を利用して次のターゲットを物色している者もいます。

p.95

 自身も含め、殺人犯達の反省や更生について、多くの者を見たい、知りたい、参考にしたい、という思いを胸に勤めましたが、反省する者がほとんどいないことにカルチャーショックを受けました。(中略)自分の身勝手さで加害者を殺害し、そのことを恬として恥じず、剰え被害者を罵倒・非難する同囚に唖然とさせられる毎日でした。
 私が反省について訊きますと、ニヤニヤとして、私の顔を見て、こう言う者もいました。
「美達さん、意外と堅いですね。大丈夫ですよ、同囚同士、反省なんて言わなくても仮釈(放)には関係ないですから」
「マジですか!? 反省なんて考える奴、いないですよ、ハハハ」
「反省はいりません。だって、自分らは体で代償払ってんですからね」
pp.160-161

こうした囚人たちと接する中で著者が死刑を肯定する理由とは、言ってしまえば命を絶たないでもしないかぎり、人を殺した者は反省しないから、これにつきる。著者は、二人の死刑囚と会った経験を回顧しながら、死刑こそが犯罪者を自分の罪と向き合わせる「人間的な刑罰」なのだと主張する。
その観点から、著者は日本での終身刑の法制化にも反対する。著者がなによりも重きを置くのは、「反省」であり、終身刑に処された者は反省しないというのだ。

本書ではそのような主張を踏まえたうえで、実情にそぐわない「永山基準」の再設定や、「反省の度合いを徹底的に測る制度」、「執行猶予付き死刑」などのユニークを改革案を提案している。続きは手に取って読んでみてほしい。


また、死刑反対派の意見についても言及している。冒頭に書いたように、「世界の潮流だから」という論法については、「我が国と欧米では犯罪や犯罪者に対する世間の感情も異なることに加え、宗教を背景とした死生観にも差異があり、単純に世界の潮流ということで、検討もされずに廃止ということは甚だ疑問」だと、論難する。冤罪の危険性については、無実の人間が死刑になることはあってはならないが、冤罪そのものをなくす方向で努力がなされることが望ましいという見解をしめしている。

最後に、「加害者の人権」についての興味深い一節を引いておこう。

 近年は加害者の人権が過剰に叫ばれていますが、目先の人権ではなく、真の人権というのは、反省させ、矯正し、正しい考え方を持たせて、自らの人生に真摯に取り組ませることではないかと思います。正常な人の心と生活を、殺人者に取り戻させるように、厳しくしながらも、手を引っ張り、背中を押すことが、人権の尊重ということではないでしょうか。どんなに厳しい刑が科されようと、また、将来があろうとなかろうと、殺人者が逃げずに自分と向き合うことは、本人にとって精神的に途方もない財産であり、救いだと思います。
pp.7-8

一部統計が扱われているものの、本書の根幹をなす議論の多くは、著者の経験に負うところが大きい。だから、ネットスラングでいうところの「観測範囲」問題というのがあるかもしれない。偏見がないとは言い切れない。
けれど、この本全体にただよう、塀の中から社会がよりよくなることを切に願って言論活動をする著者の情熱だけは、どうしても嘘には思えないのだ。
犯罪者に対する偏見はあるかもしれないが、死刑を考える上で一読の価値がある一冊だ。