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85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【書評】女子校力/杉浦由美子 ★★★☆☆

女子校力 (PHP新書)

女子校力 (PHP新書)

【目次】
第1章 共学校と女子校は別世界
第2章 「世間の目」を気にしない女子校育ち
第3章 男の気持ちがわからない
第4章 空気を読まない力
第5章 女子校はどこへ向かうのか
あとがき

内容(「BOOK」データベースより)
「女子校っぽいよね」―同性にはすぐにピンとくるらしい。モテることより先に笑いをとりにいく、基本は他人に関心がない、余計なことをつい言ってしまう…一見すると、好き放題。そんな女子校出身者は社会に出て、冷たい視線にさらされる。異性もいる職場での女子どうしの監視。男性上司のメンツがわからない。「世間知らず」。誇りとコンプレックスの狭間で悩む彼女たち。でも空気を読まずに自分を主張できることこそ、新しい時代を生き抜く力では。ここにきて一部で人気が上昇。なぜいま女子校なのか?78名の取材から見えてきた、いまどきの女子校育ちの強さと存在感のヒミツ。

昨年2012年の新書大賞の5位に辛酸なめ子『女子校育ち』がランクインしていましたが、「プチ女子校ブーム」というか「プチ女子校考察ブーム」みたいなのがひそかに来ています。そんなおりに出たのが杉浦由美子さんによる『女子校力』です。
杉浦さんといえば女性、とくに30代から下の若い女性の文化をテーマにした著作が多い(今回で単著11作目だとか)。「女子校」というテーマも、杉浦さんらしいといえばらしいわけです。
本作はこれまでの著作と同様、女子校出身者らをはじめとする関係者へ片っ端から取材するという手法をとって、女子校という奇妙な空間の輪郭を浮かび上がらせようとします。辛酸なめ子の著作が女子校のマッピングに注力していた傾向が強かったのに対して、本著のテーマはタイトルにあるように、「女子校出身者のもつ得体の知れない『力』を探ってみ」ること(p.11)です。


女子校とはいったい、どのような空間なのか。
女性の集団では陰湿ないじめがあって、そんな女性ばかりいる女子校ではさらなる酷いいじめが……というようなよくあるステロタイプの妄想を、本書はまっさきに否定します。
これについては、女子校の中学から共学高校へ進学し、共学の内部にある「世間」に苦労した女性の発言が興味深かった。

「女子校では、みんなそれぞれに自分の趣味に忙しくて他人に興味がないんです。オタクは同人誌作家の話をして、ジャニオタ(ジャニーズオタク)はアイドル雑誌の切り抜きの交換会を毎日のようにやっているし。ギャルっぽい子は男子校との合コンの打ち合わせをしていて、みんな個々の好きなことで忙しいから、他人に関心がないんです。だから脚に無駄毛が生えたままにできるんです。ところが共学の場合、女子どうしがほかの女子を『ねぇねぇ、見て見て、あの子の髪型おかしいよね』って後ろ指さす空気がありました」

p.34

服装や身だしなみだけでなく、男の趣味にまで干渉してくる共学内部での「異性がいるなかでの女子どうしの監視の目」は、女子校にはなかったというのです。
そして、異性が存在し、異性によるモテ/非モテという評価がないからこそ、女子校にはスクールカーストがないんだそうです。

共学において学校空間が「世間」であるなら、女子校のそれは「家のなか」となる。
p.57

異性が集う共学には序列があるけれど、女子校が「家のなか」で、女子校生を「姉妹」ととらえれば、たしかにそこに序列なんて生まれないのかもしれません。
中学は共学、高校は男子校だったぼくも、「スクールカースト」という言葉がなかった当時の時点で、学内に序列があることには薄々気づいていました。それだけに、女子校内にカーストがないなんて本当なのだろうか。本当だとしたら、本文中で女子校出身者がいうように、それは「楽園」の別名なのかもしれない、と思います。

また、すでに多くの人が知るところとなっている「女子力」と「女子校力」は、似て非なるものだというのがわかります。
女子力というのは、「男からの期待」を感じ取っていかに振る舞うかがためされる能力であって、きわめて「他律的」です。
それに対して、女子校力はきわめて「自立的」なのです。
以下の『進学レーダー』編集長の井上さんの言葉に、それは凝縮されているんじゃないでしょうか。

「いま、ぼくは『自分力』が大切だと考えています。『自分力』というのは、"他人なんてどうでもいいじゃん。自分は自分。やりたいことをやる"という力です。他人の目を気にしないで、自分の目標に向かっていける力を養える。世間がない女子校のメリットとしては『自分力』を養えることでしょう」

p.195

ソーシャル上に自己承認欲求の安っぽい満たし方がくさるほど転がっている今の時代に、それらに目もくれず黙々と自分のやりたいことをやり遂げるーー女子校力がそういう資質の事だとしたら、それはまさに今後重要とされはじめていくのかもしれません。


ただ、そうした「世間のない」女子校で純粋培養された「世間知らず」の女子校出身者には、それなりの副作用も出てくる。
本書後半の3章では、女子校で育った女性たちが大学に入って以降に直面する恋愛の苦労について描かれます。
女子校出身者の恋愛は、本書を読む限りでは両極端に分かれるそうです。まったく男性経験のないまま30代を迎える人もいえば、自分の意図しないところで男性経験を重ねていってしまう人もいるんだとか。
高校まで女子校で、大学に入って男女交際でやらかしてしまった女性の「セックスって社会的な行為なんですよ」という言葉は、妙に説得力があります。

その一方4章では、「世間知らず」であるということが企業の内部で肯定的に評価される場合もあるということが明かされます。いや、ここはむしろ、「空気しか読めない」共学出身者のエピソードの方が面白かった。

カーストを読む能力は優れていて、カーストが高い人とのコネクションを作っていくことで、カーストの高いグループに属してきたんだな、と。(中略)空気を読む力が高いから、頭を使わなくてもやってこられたわけですが、会社に入ったら通用しません。たまにこういう『空気しか読めない子』がいるんですが、たいてい共学出身ですね。サボっているんじゃなくて、空気を読みすぎて仕事をすることができなくなっているんです。自分で考えて動くと、ときには批判されることもあります。それを恐れるあまり地頭を動かすことができなくなっているんです」

p.174

そういう女性は部署内という狭い世間での序列ゲームに勝ち続けることができるかもしれないけれど、そんな人材、会社全体からしてみればまったく利益をもたらしていないことが丸わかりです。


本書のタイトルを書店で目にしたときは、実はすこし「嫌な予感」がしたんです。これにはちゃんとした理由がある。
というのも、世にある「××力」という名のつくタイトルの本は、たいてい「××力を賛美する」という結論ありきで書き始められているからです。そうした本には知性を余り感じられないし、バカっぽいです。
けれど、本書はよくよく読んでみるとそういう本とはちょっとちがう。「女子校出身者が持つ資質」=「女子校力」を持ち上げながらも、単に女子校が正解、女子校サイコーという結論じゃない。先に書いた恋愛についてもそうですが、ちゃんと「女子校力」のデメリットも語っているんです。
ここでいう「女子校力」というときの「力」とは、いわば「原子力」というときの「力」と同じだと思うんですよね。それによって益もあるけれど、使い方によっては暴走してとんでもないことになるよ、という。自然科学的な意味においての「力」なわけです。

本書全体をとおして興味深く思ったのは、女子校出身者特有のダメな部分をダメな部分であると認めた上で、なおかつそこへの愛着が漏れ出てしまっているところにあると思います。もしかすると本書は、女子校出身である杉浦さんが、今まで抱えてきた女子校出身であるというコンプレックスを、自己治癒するプロセスだったのかもしれません。


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