いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

【書評】これは「就活小説」ではなく、「お前ら」の小説だ〜朝井リョウ『何者』〜 ★★★★★

先日の直木賞を受賞した朝井リョウ『何者』は、就活に挑む大学生たちの青春小説。

何者

何者

書店で初めて本書を開いたとき、Twitterを模したと思われる登場人物紹介の「形式」に思わずニヤッとしてしまい、そのまま買ってしまった。本作は、Twitterがこれでもかと活用されていることが、なによりも特徴だろう。
しかし、フジテレビで放送されたTwitterドラマが大不評だったように、「流行のガジェット」ということだけで本質を理解しないまま物語に登場させるならば、それは痛い目にあっていただろう。結論からいうと、本書はTwetterのために用意されたような小説だ。


『何者』でなんといってもたまらないのは、登場する大学生たちの圧倒的な「実在感」である。
バンド活動にかまけて留年しているやつ、芸術で身を立てると突然大学を辞めちゃうやつ、思想にかぶれて就活をバカにするやつ、履歴書を埋める肩書きだけはたくさんある子、あるいは、全てを悟るかのように超然とたたずんでいる理系大学院生の先輩……などなど。『もういちど生まれる』でも感じたが、彼ら大学生の圧倒的な「いそう」感が朝井作品の大きな魅力の一つだ。

語り手となる主人公「拓人」は、演劇一本で頑張っていくというほど物事にのめり込めないが、かといって就活をバカにすることもできない。どちらにも吹っ切れることができない分、葛藤も大きい。


「観察者」として秀でていることは自他ともに認める拓人の紡ぐ「就活あるある」は、今の時代の就活を体験した人なら、だれもが頷いてしまうものだろう。

 就活がつらいものだと言われる理由は、ふたつあるように思う。ひとつはもちろん、試験に落ち続けること。単純に、誰かから拒絶される体験を何度も繰り返すというのは、つらい。そしてもうひとつ、そんなにたいしたものではない自分を、たいしたもののように話し続けなくてはならないことだ。

pp.40-41

そうそう、エントリーシートで話を盛っているときの惨めさったらないね……。

 俺は会場の受付に座っていた社員らしき人物のことを思い出す。この華やかな会社に入りたい、と受付に殺到する学生の欲望をすべてアイウエオ順に並べるように、淡々と受付の業務をこなしていた。音楽を聴いたり友人と話したりと、受験生のほうがいくら平静を装っても、社員の人たちから漂う「私は勝ってます」というにおいには全く勝てない。

p.101

しゃ、「社員らしき人物」なだけであって、あの人達だってバイトの可能性あるから(震え声)


はじめは和気あいあいとしていた拓人ら四人の就活グループのなかでも、結果がついてくる人とついてこない人との間で、次第に微妙なすれ違いが生まれていくところから、ストーリーは大きな展開を見せる。

そして、ある決定的な「事件」が起こる。
就活をバカにするヤツが、「なにがなんでも就職しなければならない」という立場の人間によって、完膚なきまでに叩きのめされることになるのだ。おそらく多くの読者は、ここで溜飲を下げたことだろう。ぼく自身も、にっくき「ラスボス」を倒したような爽快な気分になった。


しかしその場面は、その後に起こるある「展開」を前に、読者を油断させるために仕掛けられた悪魔的な「ワナ」だったんじゃないかと、今にしてみれば思う。


ラスト約30ページは、関係なかったはずの読者である自分が突然名指しされたかのような、独特のショックと、恐怖と、そして"罪悪感"を残す。その先の展開を味わって貰うためにも、本作はできるだけ多くの人に是非手にとってみてもらいたい。


読み終えるとわかるが、本書が描くのは「就活」そのものではない。「就活」への不安や焦り、就活の現実が丹念に描かれることは確かだが、それはあくまでも本書がもっとも鮮やかに描ききったものを際立たせる為の「状況」に過ぎない。

では本書が描いているものとはいったい何か?
それは、このソーシャルメディアの時代における観察することと観察されることの二面性だ。

どんな観察者も、観察者だけの位置にとどまることはできない。誰もが誰かを観察しコメントできるが、それと同時に誰かに観察されコメントされうるのだ。
わかりやすく言い換えれば、誰もが誰かを「嗤える」時代であるけれど、誰もが誰かに「嗤われる」時代なのだ。
「観察」を始めた瞬間から「観察者」について回るこの「被言及性」からは、誰も逃げることができない。それは、物質としてこの世界に存在した瞬間から生まれる影のようなものだ。完全なる「観察者」には、誰もなることはできない。


この作品でも度々言及されるが、その最たるものといえるのが「検索履歴」だろう。
ぼくらはなぜ、自分のPCの検索履歴を見られたくないのか。なぜ見られるのが恥ずかしいのか。検索することによって表示される検索結果は、ぼくらが観察しようとしている「対象」であって、エゴサーチでもない限りぼくらとは関係ないはずだ。
けれど、検索窓に文字を入力したのは紛れもなく「私」自身なのである。「私」が何を欲し何をうらやみ、何に嫉妬しているのか。何を隠そう検索履歴とは、丸裸にされた「私」自身なのである。


この「被言及性」と関連して、「上から目線」という奇妙な言葉がある。

目上でない相手から受ける、他人を見下すような雰囲気や言説のこと。

「よく物事を知っている自分が、無知なお前(ら)に教えてやるんだぞ」

と感じられる発言を不快に思う時、使われる事が多い。

上から目線とは - はてなキーワード

発言者が「不快に思う時」に使われるのだから、実質的にこの言葉に定義などない。けれど、この奇妙な言葉の流行は、誰もが言及されうる時代になったことを意味しているのではないだろうか。
ネット上で友達に言及されるようなことは、今までにもmixiなどであっただろう。けれど、まったく見ず知らずの他者に「私」の分身であるアカウントに対して、ポジティブと限らない言及をされる不快感に、ぼくらは初めて遭遇した世代なのである。

この『何者』は、そうしたソーシャルメディア上での「観察者ゲーム」への、小説の方向からの「応答」だ。
考えてみれば「観察芸」は、近代小説という芸術の形式が100年以上前からやっている十八番なのだ。そういう意味で、ソーシャルメディア上の無数の「観察者」たちへの痛烈な批評であると同時に、本作は小説の自己言及であるともいえる。
『何者』というこの本のタイトルに秘められた真の意味を知ったときも、唸らされた。それらをはじめとする巧みな伏線が、本書には幾重にも張り巡らされている。


ショッキングな場面を経てのクライマックスは、一転してすがすがしい余韻を残す。ある意味で、一度殺された拓人の再生する過程の姿が、そこにはある。内定という明からさまな成功は得ないけれど、ほんのちょっとだけ、かすかな希望がほのめかされる終わり方だ。


就活する人のみならず、ソーシャルメディアを使う人すべてに開かれた小説。この恐怖をできるだけ多くの人に体験してもらいたいから、星5つ。


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