いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座、直毛によるブログ。今ここに、ポスト宮根誠司を目指すことを誓います。

大東市児童の自殺と、海外の「抗議としての焼身自殺」にちがいはあるか?

大阪府大東市で、他の学校との統廃合による母校の廃校に悩み、小学5年生の男の子が特急電車に飛び込み自殺した事件。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20130215-1085545.html

かなり衝撃的で、事実ぼくの周りでもちょっとした話題になっていた。
しかし、ぼくが何よりも驚いたのは、そんなぼくらが口々に言っていたことを、おそらく誰よりも先にマスメディアを通して発信したのが、この子のお母さんだったということだ。

母親は読売新聞の取材に「子どもの気持ちを聞いてやれなかったのが悔しい。子どもが抱えていた思いは知ってほしいが、自殺で世の中が変わるというのは間違ったやり方で、ほかの子が正しい方法とは思ってほしくない」と話した。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20130215-OYT8T00851.htm

ぼくは、最愛の我が子を亡くした直後に、ここまで理知的になって世への警句を述べた人を、他に知らない。どれだけ気丈な人なんだろうと思う。

そうなのである。
考えうる上で、大東市側がとってはいけない最大の愚行とは、この自殺を受けて統廃合を中止してしまうことだ。17日に予定されていた閉校式は自殺を受けて延期となったというが、それはこの児童の供養という意味もかねてなんだろうと思う。けれど、統廃合をストップすることそのものを「供養」にしてはいけない。

自殺によって物事が変わるという既成事実ができてしまえば、命を掛け金にした取引が可能なのだという前例ができてしまえば、それは第二第三のこの少年のような例を生んでしまうかもしれないからだ。


このニュースを知ったとき、まずこのラジオを思い出した。

この放送で、ダウンタウン松本の「自殺するヤツはアホだ」という発言だけを切り取り、舌禍事件にしたてて炎上騒動を起こそうとしたネットメディアが一部であった。結果的にそのことで松本がモチベーションを保てなくなり、この番組の終わりを早めたという意味で、当時リスナーであった僕には苦々しい放送回であったが、ここで彼が言っていることはこの事件にも十分通用するだろう。

ただ、「自殺するヤツはアホだ」を誤解のないように言い直すと、自殺は最大の悪であり、自殺とは最大の愚行である、ということになるだろうか。悪いのは人ではなく、あくまでも自殺という「行為」なのだ。


と、ここまで書いてみて、ふと、最近100人に達したといわれている中国による厳しい圧政への抗議としてのチベット人焼身自殺や、先の「アラブの春」の発端となったチュニジア青年の焼身自殺が思い浮かんだ。
あれらはいったいどう考えたらいいのだろう?

あれらは、激烈な圧政に耐えかねた民衆の抗議の一つの形でもある。とくに後者は、チュニジア政権崩壊という現実の直接的な原因と言われている。それくらい、この一介の青年の自殺は重大な自殺だったのだ。


しかし、そうならば、今回の5年生の自殺だって、抗議の一形態ではないか。


むこうのは抗議であり、今回の児童のは「嘆願」である、というような屁理屈ですましていいものだろうか。
構造だけを取り出せば、どちらも自ら命を絶つことで現在の環境を変えることを企画しているという点では、まったく同じである。
むこうで焼身自殺する人々は大人で、今回の自殺者はまだ分別のつかない子どもである、という説明はできるだろうか? それこそ、この児童をバカにしているだろう。一部報道によると、児童は統廃合が決まった約1年前から児童は統廃合の反対を訴える作文を書いたり、自殺当日には聞き取り調査も行っていたという。そこまで理性的に行動していた彼の自殺を、大人/子どもという境界線で判断していいのだろうか?


だから、今回の児童の自殺を海外の「抗議の自殺」と併置したとき、ぼくは閉口せざるを得なくなったのである。