いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

AKB峯岸に気づかされた体育会系メンタリティの醜悪さ

スキャンダルが報道され、AKBグループ"恒例"の処分が注目されていた峯岸みなみ
研究生への降格が発表されたが、それ以上にインパクトあったのは、「自分で決め」てやったという予想の斜め上をいく"けじめ"のつけかたである。

女性の丸坊主というと、デミー・ムーアやシガニー・ウィーバー夏木マリが記憶に残っているが、峯岸の場合は坊主が様になるような美形というよりは、赤い化け物とコンビを組んでそうな顔で、また表情をくしゃくしゃにしながら語っているので、かなり痛々しい。似合うとわかってやったのでないから、当然だ。


この動画を見て、正直ぼくは引いた。いたたまれなくなった。
これを単なるエンターテイメントとしてとらえていいんだろうか。


時期が時期だけに、体罰問題と関連づけて考えてしまう。
大阪の桜宮高校の一件の後、さらに柔道の五輪代表監督の暴言やパワハラが発覚している。
Twitterをながめていると、多くの人が、体罰という目に見えるできごとだけを問題にしているわけではない。
問題の本質は、体罰を生みだす体育会系文化そのものなのだ。


昨年のちょうど今ぐらいのときに、ぼくはAKB48のドキュメンタリ映画を劇場で観た。
ファンでないぼくでも、アイドルなら見せなくてもいいような姿をこれでもかとみせたあの映画には、衝撃を受けた。
そしてそのとき強く印象に残っているのは、実はAKBにも体育会系文化が伏流している、ということだった。
もしかしたらあの映画は、その文化が「よきこと」にギリギリ見える限界点だったのかもしれない。


もちろん、今回の丸刈りは「処罰」ではない。彼女が「自分で決め」てやったことだと言っている。
けれど、これが本当に彼女自身の決断だったとしたらよりいっそう、体育会系的精神の根深さを感じざるを得ない。
ぼくは、体育会系文化のもっとも醜悪な具現化のひとつを、目撃したのかもしれない。


中学の頃、特待生を狙えるくらい野球が上手かった友達が、地元公立高校への進学を決めた。高校では野球はもうやらないという。
どうしてかというと、坊主になるのが嫌なんだと言う。
そのときは「それくらいのことで」と思った。
けれど「それくらいのこと」がそのくらいのことでなくなった時代なのかもしれない。


これは男がやってもわからなかったことだろう。
ISSAがスキャンダルの謝罪で頭を丸めても、もともと髪はないじゃないかふざけるなと、火に油を注いでいたことだろう。
峯岸がやって見せてくれたからこそ、わかったことなのだ。
これは、エンターテイメントとして消費していいものじゃない。


と、ここまで真顔で語ってみたが、それでもこれがまだ「プロデュース」の一環なんじゃないか、という疑念もぬぐえないでいる。
そして、もしそうだとしたら、この「企画」は越えちゃいけないある一線を越えたんじゃないだろうか。