いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

いつまでも夢を語っている人をみると『るろ剣』の宇水を思い出す

先日こういうまとめスレを読んで。
カオスちゃんねる : お前らが夢を諦めたのはいつ? 「夢をあきらめた」時期は平均で24歳、約半数が才能の限界を感じたから カオスちゃんねる : お前らが夢を諦めたのはいつ? 「夢をあきらめた」時期は平均で24歳、約半数が才能の限界を感じたから

まず、この平均の24歳というのがものすごくリアル。
というのも、大学生ならば24歳というと社会人2年目。仕事しながら他のことにさける自分の力の限界というのが、否が応でもわかってしまう年齢だ。
大学を出るまでは、みんなこういうことをよく言う。「うちの内定先は週休二日は保証されているから、土日は夢に向けて準備しますよ、ええ」みたいな。
ただ、休日のその2日というのは疲労をとるための2日なわけで。そうなると、あれだけかけがえのなかったはずの夢も、どうでもよくなっていく。そして、夢が自分の中で「どうでもよくなっていく」こと自体にもショックを受けたりして。


これは仕方ないことだ。常套句だが、それが「大人になる」ってことなんだと思う。むしろ、スパッと「夢をあきらめた」ことを口にできるだけ、潔い。

ぼくが見ていて悼まれなくなるのは、叶う予定も具体的なビジョンもない夢をいつまでもウダウダ言い続けている人についてだ。「夢を追い続けている人」ならまだいい。問題は「夢を追い続けている体の人」のほうだ。

そういう人を見ると、ぼくはマンガ『るろうに剣心』に出てくる「盲剣の宇水」というキャラクターを思い浮かべる。
この宇水、志々雄真実(まこと)の率いる十本刀の1人として登場するが、他のメンバーのように志々雄の完全な配下になっているわけではない。盲剣とあるように宇水は全盲で、これはかつて志々雄に斬りつけられたからだ。彼が十本刀に加入したのは、「隙あらば志々雄を殺しても良い」という条件付きでだったのだ。


そういう志々雄にとっては安心できない部下のはずだが、宇水は斎藤一と戦った際に、彼に事の真相を暴かれてしまう。
宇水が、志々雄の強さの前にとっくの昔に報復を諦めていて、未だに志々雄の首を狙っているということで、体裁を整えているだけだったということを。
しかも斎藤によれば、宇水が自分への復讐を諦めていることに志々雄自身はすでに気づいていて、それを承知で遊ばせているという(そもそも、本当に自分が殺される可能性があるやつなら、わざわざ配下にしないだろう)。
いわば宇水は、志々雄真実の手のひらの上でいいように転がされていたわけだ。


るろうに剣心』はコミックスを全巻もっているマンガだが、小学生の頃のぼくが1番感銘を受けたのは、実はこの顛末だ。というのもこの話は、よくある人間心理を非常に嫌な形でえぐっているからだ。
夢とかいっているけれど、本当は叶う見込みもなければ、叶える強い意志もない。そんな人は本当は夢が叶わないことがわかっていて、ただ「夢を見ている自分」にしがみついているだけなんじゃないか。宇水が「虎視眈々と志々雄の首を狙っている自分」にしがみついているのと同じように。


いつまでも途方もない夢を語っている人を見ると、居たたまれなくなる。大きなお世話だろうけれど。


こんなことが言えるのも、ぼくに大きな夢などがないからなのかもしれない、が。