いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

アメリカにとって銃は消毒薬みたいなものなのかもしれない

コネティカット州の小学校で起きた銃乱射事件を機に、アメリカで銃規制論争がまた熱を帯びている。児童ら26名がなくなったこの惨劇の後でオバマ大統領は、「再発防止に向けて意味のある行動を取る」と表明した。すかさずこれに、全米ライフル協会(NRA)が牽制球。

【ニューヨーク=黒沢潤】米東部コネティカット州の小学校で児童ら26人が死亡した銃乱射事件を受け、「全米ライフル協会(NRA)」は21日、記者会見し、「米国すべての学校に武装ガードマンを配置すべきだ」と強調した。
 オバマ大統領が事件発生後、銃犯罪防止に向け「意味ある行動」を起こすと強調したのに対し、NRAは「意味ある貢献」をすると表明。NRAが銃規制強化に向けた議論に理解を示すともみられていただけに、銃規制派からは一斉に失望の声が上がった。
(後略)

ライフル協会の表明に「失望」 - ライブドアニュース

さらに別の記事によると、NRAは「ゲームのせいだ」と責任転嫁をして会見を終えたという。
GTAのやりすぎでトチ狂ったゲーマーによる"3Dプレイ"を阻止するため、屈強な武装ガードマンらが闊歩する小学校……というと子供達の勉強もさぞかしはかどるのかもしれないがそれはともかく、引用の第二パラグラフで「意味ある行動」を起こす=銃を規制するというオバマと、「意味ある貢献」をするという協会の噛み合っているようで全然噛み合っていない応答が、この銃規制問題の本質のような気がする。
多くの人がすでに指摘しているが、アメリカには建国以来歴史は銃によって作られてきたという国民的アイデンティティがあり、銃規制がなかなか進まない。
彼らNRAからすれば、銃犯罪は銃のせいではない。それは犯罪者のせいであり、さらには自治の精神を達成するために「まだ銃が足りない!」ということになるのだろう。小学校が襲撃されたならば小学校に武装ガードマンを、という発想はそれを象徴している。


こういう構造を眺めていると、傷と消毒の関係を思い起こす。
光文社新書から出ている快著『傷はぜったい消毒するな』は、未だ根深くある軽度の傷の治療=消毒という常識を覆す。

傷はぜったい消毒するな 生態系としての皮膚の科学 (光文社新書)

傷はぜったい消毒するな 生態系としての皮膚の科学 (光文社新書)

それは、消毒の原理を考えてみたらわかる。消毒とは細菌の細胞を不可逆的に変性させることだ。
けれど、人間の身体だって細胞でできており、消毒による変性を受けてしまう。つまり、すりむいた膝などに消毒を行う時にわれわれは、傷口の細菌とともに我々の身体のほうも傷つけてしまっているのだ。結果、治りが本来より遅くなる。
本書にて著者はその代わりとして、すりむき傷や軽度のやけどなどに対して、「湿潤療法」という治療法を提唱している。ぼくもこの治療法を試してみて、その効果的に驚きぜひ広めたいところだが、話の本筋から逸れるのでここではおいておこう。


勘のいい人なら理解してもらえたかもしれないが、ここでいう傷口と細菌と消毒の関係が、人間と犯罪者と銃の関係にあてはめることができないだろうか?
社会の安寧のために銃は必要だ。だからこそ、銃は簡単に手に入るようになっている。けれど、その同じ銃によってスクールシューティングが発生する。銃によるリターンもあるかもしれないが、人命コストはまったくもってゼロではない。

治安を守るためにもっと銃を!という発想はつまり、社会にとってのきわめて"非効率的な治療法"といえるのだ。


最後に、小学校に武装ガードマンが配置されるということの"教育的効果"についても考えてみたい。銃を持ったガードマンに警護されながら育った子供達はどのように思うだろうか。そうか、社会の安定には銃が不可欠なんだ、という刷り込みを受けるはずだ。その子が大人になり子供ができたら、万が一を考えその子にも武装ガードマンのいる小学校に通わせたくなるだろう。かくして銃規制は進まない……と、ここまでNRAが考えての発言なら策士だ。しかし、その大前提として自分達の発想の方向性が、大きく間違っているということに、かの国の人たちはいつ気がつくのだろう。