いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

『ブライズメイズ』を観て結婚披露宴なんてするもんじゃないと改めて思った

目黒シネマにて鑑賞。

30代独身アニー。開業した手作りケーキのお店はつぶれ、恋人にも逃げられ、どっちを向いてもお先真っ暗な彼女にとって親友リリアンだけが心の拠りどころ。しかしそのリリアンがついに婚約、アニーは「ブライズメイドのまとめ役」を頼まれてしまう。

公式ホームページのSTORYより


ぼくはSEX and the CITY(特にテレビシリーズ)みたいな「女ぶっちゃけ系」が結構好きなのだが、この映画は冒頭のすさまじい「ピストンシーン」で「そうですぶっちゃけ系です」とサインを出しくれている。さらに畳み掛けるように続く化粧のシーンで「ああ、女は"目が覚める前から"女を演じる仕事をしてるんだ」と、なんだか申し訳なくなった。これは女にぶっちゃけられた内容があまりにすさまじくて引くパターンである。


ブライズメイドとは、花嫁の付添い人であり、立会人として結婚式で花嫁の側にいる女性たちを指す(映画では複数形)。この映画では付き添い人や立会人だけでなく、結婚式のプロデュースまで頼まれることになるが、無二の幼馴染であり親友の結婚式とあってアニーはやる気満々。しかし、リリアンの夫の上司の妻であり彼女の「新しい親友」でもあるヘレンとのギスギスした冷戦が勃発し、事態はあれよあれよと最悪の方向へ……というのが話の格子となるラブコメ映画だ。下品で笑える箇所が多くておススメだ。11月にはDVDもリリースされるらしい。


観ていると、親友を盗られて頭がおかしくなった女というかなり特殊な話のようにも思える。たしかにそのような誇張はあるものの、この映画は実は結婚式にまつわる「ある普遍的な問題」を描いていると思う。

人生には、成長するにつれて段階がもうけられている。当たり前だ。小学校のころの人間関係と、中学、高校、大学のときの人間関係はちがう。けれど、結婚披露宴というのはそれらすべての段階の友人関係を、ごっちゃにして、人様の前に提示するという厚顔無恥も甚だしい行為だ。

ある意味、披露宴というのは「自分」でググったときの「検索結果」のようなもんだろう。アニーとヘレンの摩擦も、「リリアンの親友」というだけで一緒くたにされたのが原因といえば原因だ。
本来そこに統一的なまとまりはない。「自分と知り合いの人」というだけで、その場に集められた人たちだ。中には趣味や価値観の合わない人もいるだろう。年収だってまちまちだろう。それでも、同じ空間にいっしょくたに、ごっちゃにしてしまうのだ。
自分たちの、いや、自分のためだけに(夫は関係ない)!
自分のお姫様願望を充足させるためだけに!!
すぐに離婚するに決まってるのに!!!
これを厚顔無恥といわずになんという。


さらにこれは、ゲストの側だけがこうむる問題じゃない。各年代別に「ちがう人間関係」があるということは、裏を返せば各年代別に「ちがう自分」もいるということだ。
みなさんはこういう経験がないだろうか。たとえば、大学時代の友人Aといるときに、偶然小学校時代のBと遭遇する。もちろんAとBに面識はない。このとき、自分がする気苦労というのはまさに、Aと過ごしたときの自分のキャラと、かつてBと過ごしていたころの自分のキャラとの「乖離」にこそあるわけだ。

そう考えると、各年代がごっちゃに集う結婚披露宴なんて、ぼくのスペックを軽く超えている。ファミコンバイオハザード6をしようとするようなもの。狂気の沙汰だ。


いやいや、そんなの人生に一度っきり、一日かぎりのことなんだから、大目に見てやろうよ、という人もいるかもしれない。けれど、自分のでも他人のでも「一生のお願い」というのは信用できないものだ。つまり…